ものをつくるということ
ちっとも上手にできないし、ちょっとズレたり変になってもとことん直そうだなんて思わない大雑把な性格だが、
時々無性にものづくりをしたくなる。
でもね、一からだと気持ちが萎えるので、キットにお世話になりつつ。
ただ紐を通すだけ(笑)
前にも
キットでがま口ポーチ作ったり、
手編みの帽子作ったり、
子ども用エプロンを縫ったりした。
あとは子どもの水筒ケースのカバーとか(首に当たる部分が痛いというから、キルティングの分厚い生地で作ったもの)。
近くに寄って見られるとそれはそれは、本当にこれミシンで縫ってます?というくらいのガタガタの目なのだけれど。
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私なんかよりももっと上手にたくさんの可愛い雑貨を作り、それをマルシェなどで手売りしている友人が沢山いる。
決してそれで生計を立てようなどは思っていないと思う。
それを見て、私の知人は
「無駄!旦那さんの稼ぎで暮らしていて働きもせず、儲かるともわからないことばかりやってるわけでしょ。そりゃ旦那さんよくは思わないと思うよ。一人でやってるから大量生産もできないし、儲けにならないし...」
と言っていた。
なんか心がざわざわした。
たしかに、儲からない。
好きなことをやっていて、それで家事が疎かになったりお金を食い潰したりしているのならば、旦那さんも怒るかもしれない。
でもたぶん、友人たちはこれがアイデンティティなのだ。
私は勿論、人様にお売りできるような綺麗なものは作れず、自己満足と親のエゴでものづくりを時々しているけれど。
それがもっと高まって、自分を表現すら一つの手段となるならば、無駄!と切り捨てるのはちょっと違うように思う。
何かに無心になる。
それで世界を変えようとか、儲けようとか、人を喜ばせよう、が第一義的な目的ではない。
ただ自分の心の赴くまま、
できる範囲で。
私なんかと比べてしまうのはおこがましいけれど、ハンドメイドってそういうものかもしれない。
ものをつくる時間。過程。
それが楽しくて、満たされている。
こういう時間はやっぱり時々必要だな。
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