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考えるために休みはある。

忙しい。
仕事も、家事も、育児も。

こう書いてしまうと、非常にありふれた、単なる多忙な日々を送ってるだけの人のように捉えられてしまうのかもしれないが、私がなんで忙しいのか、具体的に考えてみた。

もちろん、子どもたちそれぞれに予定があり、それに付き添ったり、親が準備や参加をしなければならないことが多いから、ということもある。

それだけではない。



...たぶん、コロナのせいだ。

コロナで在宅勤務をしてから、在宅でできることは在宅でやるように、との流れになった(事務作業的なものはあるので、薬局に勤務していなくてもやることはたくさんあるのだ)。

だから、今まで家庭や子どもたちの都合で帰らねばならない時間になり、やりきれなかった仕事も、家でできてしまう。
良い意味でも悪い意味でも、自宅での仕事が増えたのだ。

隙間時間を見つけては、仕事。

その隙間時間に今まではnoteを書いたり、読書したりできていたものが、なかなかできなくなったのだ。

その隙間時間がたぶんとても大切で、完全に頭が仕事モードから解放されてボーッとできる時間が必要なのだと、この生活をしていてよくわかった。

今目の前にあるやらねばならないことをモグラ叩きのようにハイスピードでこなして、いかにうまく時間や予定をやりくりできるか、に心を砕いている。

それでは、完全に流されている。

自分の頭で考えて、味わって、答えを出すことさえも叶わない。




疲れたから休む。

もちろんそれはそうなのだけど、たぶん休みの本当の意味は、立ち止まってたくさん考えて、頭にめぐるいろんな考えを整理して、自分の立っている場所や位置を俯瞰する。そのためなのではないか。

飼っているハムスターがケージの中で乗っているあの車輪のように、止めどなく仕事が流れてきて、流れに流されて、降りるに降りれなくなって、ひたすら車輪の回転の速さについていこうと必死になって、周りが全く見えず、ただただ疲弊しないように。

なんとか、休む時間、仕事から離れて考える時間を作ろうと、在宅でできる仕事をせっせと片付ける毎日である。

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