"移ろいゆく"自分の身体
以前にも書いたことがあると思うが、20代後半に私は大病を患ったことがある。
もちろん完治はしていない。ずっとお付き合いしていかねばならない病気だからだ。
それでも今はそれほど症状が出ることは少ないけれど、なんというか、私はもう健康じゃないんだ、という烙印を押された気持ちでずっといた。
あれをしたのがダメだったのか?
これをしなかったのが良くなかったのか?
健康な自分=完璧、であり、少しでも病気をしてしまったら、不完全でダメな自分。
ここまでいうのは極端すぎるかもしれないが、そのようにも感じていたのである。
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あるときに岸見一郎さんの本を手に取った。
病気をするということは、あるいは老いていくということは、後退することではなくて、変化である、というようなことが書かれていた。
目から鱗が落ちる思いだった。
健康という一点のみが動かず存在していて、それが最善、それ以外は劣化、後退というのではなく、
いろんな状態をとりながら変化をしているというのが、人間の人生における身体の状態なのだろうと改めて思いなおした。
当たり前のことだけれど、どうも普段の生活ではそう意識が向かないものだ。
私が薬剤師として接している患者さんの中でも、病気があってもうまく付き合って、とても楽しく過ごしている方もいる。
側からみたら、大変そうな治療をしていても趣味や仕事に前向きでアクティブな方もいる。
果たしてこれが「後退」で「劣化」な状態と言えるだろうか?
移ろいゆく体調の変化の波にうまく乗り、あるいは波をうまく利用して前に進んでいる、ということなのだろう。
人生は、短いけれども、長い。
一点の状態を継続できることなんて、ない。
変化していく身体を悲観的に捉えるのではなく、その都度対応を変えてゆく。
親から授かった身体と、いのちと、もっと肯定的に、前向きに付き合っていこう。
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