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"弱い"ままの私を生きる

感受性が強い。
一つの出来事で100を受け取る。喜びも100倍、悲しみも100倍。
溢れてくる感情の波に、溺れそうになる。
自分を生きるのが難しいってずっと思ってきた。

そんな私は自分のことを”弱い”と評価している。
揺らぎやすさ、落ち込みやすさ、力を失くす感覚。それらを称して"弱い”
"弱い”ことは、私の世界ではいけないことで、だからずっと"強くならなきゃ!”って歯をくいしばって生きてきた。強くなったらもっと、自分らしく堂々と生きていけるって信じていた。

そもそも”強い”ってなんだろう。
これまでの私にとって"強い”とは、"安定している”とか、”どっしり構えている”とか、”堂々としている”とか、そんなイメージ。
それらを表面的な鎧にまとって、自分の内面にある"弱さ”(と称しているもの)を隠すことが、強く生きていく方法だって思っていた。

それってその名の通り、"強がり”だよね。。
そうやって強くなりたい”強がり”を続けて、生まれて30年が経っても、思っていた自分とは違くて。強くなりたい!と思えば思うほど、なんだか苦しくなる。弱さを囲うように、硬い鎧をつけて、自分を守ってるつもりでいた。

ここ数年、内面を深く見つめるような豊かな時間の中で、”自己肯定感”や”自分を大切にすること”を学んできた。
そしてふと思う。

”弱い”と称している特徴は本当にただの”弱い”なのか
”弱い”の反対は”強い”なのか

今の私の答えは、

"揺らぎやすさ”や”感受性の強さ”は私の特徴の一つ
それらを隠すことが”強さ”とは限らない

だから、”弱い”と称しているそのままの私を、認めることから始めよう。
そしてきっと、そのままの私に出来ることがあって、そのままの私だから出来ることがある。それらを見つけ出す為の”賢さ”が、私が私を堂々と生きていく方法なんじゃないかって。

自分を変えたり、繕ったりするのはやめてみよう。
持っている特徴一つ一つ、長所も短所も、
認めて、見つめて、見つけ出そう。

"弱い"ままの私を生きる。

2021.6.25

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