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安田早苗の絵画 三上豊 美術書編集者 2021.3.13-28 悪夢に咲く @ロクの家


 2021年3月13日、千葉県は銚子に安田早苗さんの展示を見に行った。数カ月前にお声がかかり、展示会場では、ミニマルアートとか新表現主義などについて、私感を述べさせられた。会場は木造2階建ての旅館を改造し、アトリエであり、展示場であり、アーティストレジデンスとしての機能をもつ「6の家」と名付けられた空間で、宮内博史さんが1年以上をかけて改築した建物である。特に宣伝をしているわけではなく、知る人が少しづつ増えるなり、来訪した人が気にしてもらえればいいような、のんびりした、軽みをもった美術道場だ。


 今回の安田の作品について記述する前に、ロクで話をしていたとき、以前から気になっていたことに触れておきたい。それは狭い美術業界を外へ開くことが必要だという声の大きさだ。そもそも、美術は本来世界へ開かれた窓であったはず、難しい、わからない、閉じられた世界のように人々への意識付けはいつ頃からだろう。美術史的には20世紀初頭かもしれないが、時を経て90年代以降、どんどん「開け」の声はたかまり、文字にすれば、美術がアートと、美術家がアーティストと置き換えられてきた時間の経過だったかもしれない。私自身、「作品を開かれた場に」導くのがジャーナリズムの役割だとか、「狭い業界」で「ジャーゴン」で武装している評論、論文を妙だと感じていた。しかし、2000年代以降このかた、アートはすっかりおなじみになり、評論家は淘汰され、入門書は増え、SNSで展覧会について発信するブロガーの時代になった。また、アートの役割がなんだかんだと唱えられ、どんなグロテスクな表現でも、時代はアートを掬い取り、吸収し、消費していく。ある意味、グローバルな時代状況では、美術は開かれて当然だろう。ゆえに天邪鬼な私は、逆に閉じこもること、グローバル的に閉じこもることの戦略を問うてみたい衝動にかられる。
 そこはともかく、安田早苗である。何百という風船にタネをつけて飛ばす「種まくプロジェクト」以前は絵画を制作していたが、ずっと「外部へ」と表現を考えてきた作家だ。観客参加型、体験型、ワークショップのなかで活動をしてきた。ネットにアップされた記録映像を見ているとわかるが、拡声器をもって言葉を発する安田の姿は、「拡声器」を素材にしたパフォーマンスのようにも見えよう。パフォーマンスの領域に彼女の仕事を位置付ける気はないが、彼女のたくらみは「外へつながる」ことであった。それが今回、行為の表現から、絵画表現と場を移しているので、描かれた作品を見てみよう。花、映画の場面、他の絵画作品、などが描かれているが、今回は女優が際立ち、フェミニズムがテーマのようだ。外部としてのフェミニズムか。それは現代的、社会的テーマかは置く。

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 描かれた映画はハリウッドの40年代、50年代のもので、ローレン・バコールは何点かに登場。20歳のバコールが四半世紀年上のハンフリー・ボガードと一緒になり、B &Bといわれたコンビ作品「三つ数えろ」の一シーンが作品になっている。だが、他の作品同様、男優の顔はほとんど消され、女優は黄色の服を着せられている。この黄色は外来種の花が画面に描かれているが、それと同調している。花「ホテイアオイ」の画像は環境庁のHPの動植物の外来種一覧から引用されている。さらに大きな作品ではモンドリアンの格子が画面を区切っている。全体の画調はデイヴィッド・サーレを意識しているそうだ。ハリウッドは赤狩りの時代で、描かれた女優たちはなんらかのかたちで、赤狩りと関連があるという。そこに描くべき事象を安田は見出し、形象化した。

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