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家族の絆・地域の絆 令和6年能登半島地震

こんにちは。
Bloom Bridal代表のYukiです。
 
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
そして元旦に起こった能登半島地震の被害に遭われた方々、心よりお見舞い申し上げます。
 
私も元旦は富山県で過ごしておりました。
今回は、この度改めて感じたことを書き留めようと思います。


◆令和6年1月1日

私の夫の実家は富山県です。
そのため、年末から家族3人で帰省しておりました。
コロナが5類となり、最初の年末年始。
まさに帰省ラッシュの中、サンダーバードと新幹線に乗り、富山県へ向かいました。
 
そして元旦。
例年通り、お雑煮を食べ、いつもの神社へ初詣に。
元旦からオープンしている道の駅でお昼ごはんを食べ、お土産を購入。
その後、買い出しに立ち寄ったスーパーでは、娘が千本引きにチャレンジし、大当たり!
そんな平和で穏やかな時間を過ごしていました。
 
家に帰り、書き初めをしていたその時です。
16時10分頃、地震が起きました。
 
初めは小さな揺れで私は気が付きませんでした。
しかし次の瞬間、緊急地震速報の直後に大きな揺れ。
必死で机の下に隠れ、娘の手を握りしめながら、「どうか早くおさまってください…!!」と心の中で祈るばかり。
30秒ほどとは信じられないほど長く、恐ろしい時間でした。
 
義実家は震度5弱でした。

◆家族の絆 心の繋がり

8歳の娘は地震の最中は驚きでかたまり、一旦おさまった後、大粒の涙をポロポロと流しながら泣き出しました。大人でさえ恐怖で震える中、小さな子どもの不安は計り知れないものでしょう。
その姿を見て胸が痛くなる中、けたたましい警告音ととまらない余震。
そして、「お家壊れない?大丈夫?」と娘。
 
気休めだとしても、“絶対大丈夫だよ!”と言ってあげたほうが良かったのかもしれません。
しかし、いつまで余震が続くかもわからない状況で、不確実なことは口にできませんでした。
 
ただ間違いなく言い切れること。
「ママは絶対離れないよ!一緒にいるから安心してね。」
この一言でした。
 
その後も娘は机の下から離れられず、急遽用意したおにぎりも喉を通らない。
らんらんとした目で気が動転している様子だったので、必死に深呼吸をするようみんなで声を掛け合いました。
幸いなことに、家族が揃っていたため、代わる代わる小さな娘を抱きしめることができました。
家族の大切さ、有り難さを心から感じました。

◆地域の絆 声をかけるということ

実はこの時間、義父は一番風呂中でした。
離れた部屋にいたので、状況がすぐに分からず心配していました。
ひとまずみんなで同じ部屋にいようとリビングへ移動すると義父は不在。
どこに行ったのかを義姉に聞くと、ご近所の様子を見に行ったとのこと!
 
地震で湯船から慌てて飛び出した義父は、着替えるや否や、一人暮らしのお宅に声をかけてまわっていたのです。
名前を呼びかけ、公民館へ誘導したり、同じく駆け寄って来られた方と連携を取っていたとのです。
 
とっさのことで自分の身の回りにしか意識が向かず、義父がなかなか戻らないこともヒヤヒヤしていた私は、本当に驚きました。あんなにとっさに誰かのために動けるものなのだと。
そしてその行動を当たり前に受け止める義母も同じくすごいなと思いました。
 
一人で地震に見舞われた方にとって、この声掛けはどれだけ心強かったことでしょう。

◆最後に

私達家族は1/2の夜に帰阪することができました。
今回の地震を通して、改めて「人と人との絆」の大きさを感じました。
家族はもちろん、地域との繋がり。そして離れていても声をかけてくれる友人。
また、あらゆることが「人」で成り立っていることも改めて痛感しました。
 
今ここにいること。
今自分ができること。
日々を大切に向き合っていきます。
 
1日でも早く、被災された方々、そのご家族、すべての方が心穏やかに過ごせるようになりますように。
 
ここまでご覧いただきまして、ありがとうございました。


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