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少しストレス、少しほっとした

繁忙期の山場が今日の早朝のお仕事。。。
9:00頃には終わったけど、どうしていいかわからず、他のメンバーに迷惑をかけたところも多々あった。
もともとの仕事の考え方が悪くて、失敗ばかりしてしまう。
昔ながらのやり方しか知らないので、非効率で誤りやすいやり方で進めてしまい、スピード感が無く、安定性もない。。。

そんなところがあって、「もう終わったからいいよ」と言われると、自分の無力感しか残らない。
こうやって落ちて行って鬱になりやすくなる

自信をもって進めるためにどうしたらいいのだろうか?
色々な思いが去来する

小学生の頃、他の生徒の模範生となることを求められていた。模範生となってこそ、存在価値を認めてもらえた。
親にも、教師にも、近所の親御さんにも。。。
(もしかしたら、近所の親御さんは、母親が近所の親御さんを引き合いに出して、みっともないとかそういう躾をしただけなのかもしれないが。。。)

つまりは失敗できない。。。
子供らしい悪ふざけや振る舞いは、自分だけが個別に、特別きつく叱られ、責められた。
身長が高かったのだが、他の子より特に目立つほど高くなる頃には、もうその風潮は歯止めが利かず、自分でも浮いているのが分かるほど、子供たちの悪ふざけやいたずらの輪に入らなくなってしまった。

子供の仲間内ではつまんねーやつ、になっただろう。。。
そうやって模範生、優等生を望んで育ってきてしまったせいで、小学生の頃、特に仲の良い人間もそれほどいなくて、一人で本を読んだりしていた。

もちろんそれに反発して、友達を優先させるだけの強さもなかったから、自分のせいかもしれない
しかし、他の生徒と明らかに違う扱いではあった。

失敗もできなくて、親や教師が喜びそうな答えしか持ってない。
つまりは自分の本心も欺くことになる。
その挙句、自分の素直な気持ちも表現できなくなっていった。。。
そのうち、自分の本心も自分でわからなくなっていくから、決断力や判断力など身に付くわけがない。
親や教師、他の大人の顔色を窺って、喜びそうな答えや振る舞いを用意して実行する。。。それ以外は思いつかない。。。

そのせいなのかは不明だが、今から思うと、自分は凄く見栄っ張りだったように思う。
世間体が良いことや、かっこつけられることに安心感があったように思う。

世間体が悪かったりすれば、自分が好きとか、得意とか、そんなものは捨てなければならなかった。
そのために自信が無くてもやらなきゃいけないことが多い。
いやむしろ、自信がない、不得意なことでも一発で成功しないといけない。
そんな家庭ではあった。。。

いや、むしろ好きとか得意じゃないのに、その道に進まなければならなくなった。
それに、要求はレベルが高い。
俺には難しいけど、クリアできるように必死に努力したけど、そこに自信はなく、苦手分野であっても進むしかなかった。
こうなってくると、人生を背伸びして生きていかなければならなくなる。。。

そこに自信は生まれない。。。
好きだから、やりたいことだから、いくつも失敗してもやりたいことだから、進むことができる。
だからこそ、失敗を糧にできると思う。失敗を前向きにとらえることができるからだ。

でも昔は違う。
得意不得意は別として、失敗を糧にしろと。。。

言っていることはわかるが、失敗を糧にできるほどの世界に身を投じたわけじゃないないなら、どうなのか。
自分自身が一番わかっている。。。それみたことかと。。。

つらつらここまで書いてきたけど、結局は自分が一番自分を優先させていない。
素直に自分の気持ちや想いを表現することが罪だと思い込んでいた。

だから人生失敗する。。。
この生きにくさは、自分が自分を大切にしてきていないから。

でも、大切にできなかったのは、自分の気持ちや想いを二の次にしても、親が世間体や、親の気持ちを優先させると評価する育て方を、物心つく頃からしてきたから。

子育てとは。。。ある意味洗脳になってしまうこともある。。。。

だからこそ、自分が無くなってしまう。。。
自分の想い、自分の素直な感情を優先すること自体が、罪だと思ってしまうから。。。

アダルトチルドレン・・・

恐らく俺はアダルトチルドレンなんだろうと思う。
アダルトチルドレンは、細かくいくつかに分かれるという説があり、俺はヒーローと言う区分になる。

俺の場合は「エリートとして期待され、負けること、失敗すること、子供らしいふるまいが許されない環境に育った子」と言うところだと思う。

常々母親が俺に言い聞かせてきたことを思い出す
「男は大学に行って、一流企業に就職して、家を建てて、親を面倒見て、出世しないといけないんだから!しっかりしなさい!」
とかいうのは当たり前で、子供らしいふるまいも認められなかった。
世間体が悪いこと、例えば成績が悪いとか、子供らしいいたずらなどをやると、あなたは他のことは違うんだから!と言って叱られたことも多かった。
まぁ、叱られるぐらいならいいのだが、叱るというより罰を与えるようなものだった。。。それは、姉への躾がトラウマになっていることもあるとおもっていて、それは別の機会に書こうかなと思っています。

俺は、必要以上に親の言葉を重視していたのだろう。
また、生まれた時から気が弱かったので、反抗する気持ち、反発心もないのだと思う。

いうこと聞きすぎるぐらい言うことを聞いて、いい子ちゃんでいるがために、教師もそういう目で見てしまう。
だからたまに子供らしいふるまいや、失敗をしてしまうと、「お前がそんなことをしたらダメじゃないか!」と、他の子は叱らないのに、俺だけこっぴどく叱られる。。。

何をしたら叱られるかわからないところもあった。。。
むやみに大人に恐怖心があった。。。いわゆる委縮した状態なのだろう。

それは社会に出ても、誰と言うわけではないが、そういう目で見られるという委縮した気持ちがあって、いまだにその感覚は持っている。

だから自信も持てなくなるのだろう。
ほんの些細な、普通はそれほど叱らなくても良いことでも、こっぴどく叱られ、責められたた経験が多数ある。。。。
少しならまだしも、多数あるがために、ほんの些細なことでもとんでもないことをしでかした、と思ってしまってきた。。。
恐らく優等生に仕立て上げようとしたために、ちょっとしたことでも認められなかったのだろう。。。

いまだに、怒らない人の方が心理的安心感があって、のびのびできる。。。
普通は良い大人が他人に怒られたからって、恐怖心から委縮するようなことはなく、自信がある人ほど反発したりするし、自信を失わずにいい意味で次につなげるだろう。

でも俺はそういう風には思えない。。。

今日も、そんな状況になってしまい、すごく落ち込んでしまった。
でも、今日が山で、何はともあれ無事に終わったから。。。すこしほっとしている。。

ただ、もう仕事では必要な人材ではないのはわかっている。
スキルをアップさせるどころか、上記の問題で、それ以前の問題になってしまっている。

人に対する恐怖心が強すぎるので、少し回避性パーソナリティ障害みたいなところがある。
まだ障害まで深刻ではないかもしれないが、スキルアップを阻害している要因であるのは間違いないので、ある意味障害で、生きにくさの原因の一つなのだろう。。。

首を切られる前に、何とか生きていく道を探していこうと思っている。
上手くいくかわからないけど。。。

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