日記:なんちゃって気取り

noteを始めて気づけば2週間経っていた。
元々は、ひょんなことでつながった人の紹介だったが、気づけば見知らぬ誰かからのスキがつくと嬉しくなる。
職場内には私が知らないだけで創作つながりでグループがあるらしい。正直羨ましいがよく考えると、羨ましいのはその中でチヤホヤされることなのか、それともお互い刺激しあうことなのか。
気持ちは6:4でチヤホヤの勝ちー!って単純に割り切れるものではない。

強がるわけではないが…創作活動なんて基本一人だ。その中で一人抜きん出た存在がいると変なライバル意識とか生まれないだろうか。最近「火花」という又吉直樹の小説を読んだが、お笑い芸人養成所もそんな感じだ。同期の中で、抜きん出たグループがいると、焦りと闘争意識からいろいろ試みるが、そういう気持ちからだと大体うまくいかない。始めは「好き」という純粋な気持ちだが、時間が経つに連れ、徐々に周りとの差ができて当初の好きはどこへやら、気づくと疲れ果てた自分がいる…なんてことになりやすい。だがこういう創作活動は周りと刺激し合うのが、良きアイデアの種だったりする。変な言い方になるが、孤独であるのに、チームプレイみたいな二律背反のようだ。
かつて祖母に「石より富士を見ろ」と経験則のようなことを言われたことを書きながら思い出した。意味は転ばぬよう足元の石ばかり見ていると次の石で躓くかもしれないが、遠く富士を見ながら歩くと石なんて気にならないという意味らしい。今の私も近くの安住の地に目移りして、当初の富士を見失っているのではないか。noteに投稿して、なんちゃってエッセイストのような気持ちになっていないか。本当は足元見ながら富士を見るのがベストなのだが、そのような器用さはない。一度立ち止まり富士を見つめ直そうかな。

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