サポートするのは誰? 健常者の私がユニバーサルな社会が絶対に必要だと思うわけ

ブラインドライターズ代表の和久井です。

先日、ローソンPBの新パッケージがユニバーサルデザインになっていなかった件でめちゃくちゃ食ってかかったのですが、私は社会がユニバーサルデザインで構成されることは非常に重要だと思っています。

「サイトが視覚障害者対応になっていない」
「段差があり車いすが入れない」
などのバリアに関して問題提起すると、必ず「誰かにサポートしてもらえばいい」という意見が出ます。

ブラインドライターズは、私以外全員が何らかの障害を持った人たちで構成されています。
スタッフと仕事するときはもちろん、飲みに行ったり、イベントに参加する際に、「サポートする誰か」は、当然、私です。

例えばスタッフで自宅飲み会をしたとします。
予定の調整をするのに調整サイトは視覚障害者が使えないから、じゃあ私が全員の予定を代わりに入力しますね〜。
買い出しに行くのに、お店に階段があって車いすが入れません、パッケージが読めないので買えません、じゃあ私が買い出しに行きます〜。
駅から家まで、点字ブロックも音声の信号機もないので行けません、じゃあ私が迎えに行きます〜。

これ、相手が1人や2人だったらできますが、10人いたら私はもうみんなの奴隷です。

「誰かがサポートすればいいから、特別な対応は必要ない」という人たちは、自分がマイノリティになった経験がないのでしょう。

健常者=マジョリティではありません。

もちろん、人間は誰でも自立をしたいと考えるもので、そのための環境作りは必須だと思っていることもあります。
「車いすだから飲みにいけない」
「よく見えないから読書できない」
などという環境に、自分が明日いきなり置かれたら発狂します。

障害は、いつ誰が負うかわからない。誰だって、自分が明日、病気やケガを負って障害を得るかもしれないんです。
と同時に、自分の家族や友人、会社の同僚が障がいを負うかもしれません。
そのときに、当事者もその周囲の人も、それまでと変わらない生活を続けられる設備は、あった方がいいに決まってますよね。

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