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帰りたい場所はどこにある?

先日、海外滞在中の恋人さんと話していたら「日本に帰るとか、○○(恋人さんの地元の地名)に帰るっていうのと、君のところに帰るのは少し意味が違う気がする」と言われた。

心から今まさに共感している。
私が実家に帰るとか、地元に帰るとか、そういうものと恋人さんの所に帰るのは同じじゃない。地元に向かう新幹線の中で、本当に心からただそう思う。

2年ぶりの地元だ。地元についてはこちらのnoteに書いたので、もし興味のある方は読んでみてください。

簡単に言ってしまうと、私は地元、ふるさと嫌いだ。帰りたくなかった、ううん、今も帰りたくない。窓の外の景色に雪が見え始めて、地元に近づいてることに気づいて、胸がぎゅっと締め付けられた。
帰りたくねえ〜!!今からでも帰ってやろうか。
割と深刻な心境だ。ちょっとだけ泣きそうにだってなる。

今の恋人さんと付き合って、最近私は落ち着いてきた。今なら2年引き伸ばしてきた実家への帰省も出来る気がして、なんとか計画を立てたけど。やっぱり帰るの嫌になってきた。複雑な心境だけど、もういまさら仕方ない。

今の恋人さんと一緒になってから、ほんの少しだけ世界を嫌わずにすむようになった。頑張って好きになろうともしなくなった。少しだけ荷物を下ろして、できる範囲で安心出来る場所の中で生きている。たまに無理もするけれど、以前ほどじゃない。そうしようと、そうしなくちゃと思わなくなったから。

私は地元で、15年間生まれ育った場所で上手く、幸せになる術を知らなかった。いや、違う。知っていたけど、それは私にとって「死ぬ」「殺される」道だったから選べなかった。生きるためにはそこでは幸せになれないと幼い時から分かっていた。

本当なら、そういう生き方の中ででも幸せになれるものならなりたかった。家族と別れたいわけでもなかった。隣に大切な誰かが身近にいたまま、生きていたかった。こんなふうに嫌いたくなかった。
1秒でも、1日でも、1年でも早く、自分も自分の生きている世界ももっと好きでありたかった。安心出来るところで、幸せだと思える場所であって欲しかった。

最近の私はひどく幸せで、穏やかで、平和で、とても温かいところにいて、満たされているのがちゃんと分かる。ふとした拍子に何故か泣きたくなる。
もっと早く幸せになりたかった。今が幸せであるからこそ、もっと早く。それは私の切実な思いだ。
でも今ある幸せだって自分一人で手に入れたものじゃない。私の周りの全てと、その中でも特に恋人さんのおかげだ。本当に。

もう大人にはなりたくない。
子どものままも嫌だ。
私は年相応の人間でありたい。
他の何者でもない「志賀暁子」でありたい。

そんな私のまま、恋人さんのところに帰りたい。
帰る。
帰るから、待ってて欲しいし、受け止めて欲しい。

きっと、話したいこともそうでないこともたくさんありすぎるだろうから、最初はただ泣き尽くしてしまうと思うけど、いつものように慰めて。
とびきりの勇気を出して、地元に「行ってくる」から、帰ってきたら目一杯褒めて。

「実家に帰っただけで…」みたいな言葉はどこかから飛んできたとしてもそんなの知らない。聞かない。耳塞いどいて、恋人さん。社会も、普通も、2人だけの時はどうでもいい。もうそんな言葉は聞き飽きてんの!もううんざり、もうおなかいっぱい!
綺麗事なんて今更いらねえよ、生きてたら泥臭くなって、醜くもなるでしょう!

多分、泥々になって、すごくひどい顔してるけど、もうボロボロだと思いますけど、それすら笑ってね、恋人さん。
好きだよって、かわいいねって、言わなきゃ許さないから。言ってくれたら、そうでしょ?って笑って、そこからまた綺麗になれるように精一杯努力するから。そのつもりでお願いします。

さて、もう到着の時間。
このnoteを読んでいる全ての方は出来たら私の地元での平和を祈っといてください。志賀暁子に幸せと平和あれと。
わがままで、大概綺麗な自分じゃないけど、そんな私という一人の人間に心からの祝福あれ。

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