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"おでかけ"じゃなくて"デート"をしよう

にやっと笑う友人さんは常々からかい上手というかお調子者というか。「またデートしようね」なんて、どこの気障男が言う台詞だろう。

友人さんは簡単に「デート」って言葉を使う。
いやいや、志賀とあなたは恋人同士でもなんでも無いんですけど。ちょっと返答に困るんですけど、なんて。
ちょっと前までは思っていたけれど。

先日彼と"デート"した。
彼にメイクをしてあげるためと、志賀が二週間後に大好きな人(友人さんとも知り合いで、私達の共通の友人にあたる人)に会うから、その約束のために服を選んでもらうために。
二週間後の予定を聞いて、彼はそれを「デートじゃん」と笑った。
「違います!!」と反論して、ふと、この人なんでもかんでもデートって言ってない?と思い出し、少し好奇心を持って訊いてみた。

「デートって何?どういうのがデートですか?」
彼はちょっとびっくりしたように目を丸くしてから、うーんと少し考えてこう話した。

「2人で出かけてて、そのお出かけがわくわく、うきうきするものなら、それはデートだと思う」

なるほど。
なるほどなるほど。
それなら確かに友達同士でもデートは成り立つし、志賀へもそういう言い回しをしておかしくない。
なるほど?

確かに。
確かに彼の論理で行くと、私も彼とのお出かけは"デート"かもしれない。彼とのお出かけはいつだってわくわくする。彼は人を楽しませるのが本当に上手な人だと思う。無駄な時間がないなって思う。物理的な意味じゃなくて、例え物理的に暇な時間があっても、それを精神的に埋める、飽きさせないあり方が上手いなと思うから。彼とのお出かけは本当にわくわくして、楽しい。

要はただの義理で食事に行くのとか、やらなきゃいけないことがあるとか。そういうこととは違う、心が動く感覚をこの人は"デート"って呼んでいるんだろうと思う。
それをあえて言葉にするなら、きっと『特別感』って呼ぶんじゃないかと思う。分析するのなんて無粋だろうか。でも、いいよね。
だって、それは志賀との時間が「特別」だってことでもあると思うから。それを喜んでもいいよね。

どうせなら義理や愛想笑いだけのおでかけじゃなくて、本気で心から笑って楽しめる方が幸せに決まってる。私達の生きる時間は限られているのだからなおさらだ。特別な人と、特別な時間を過ごしたい、って思うくらいの我儘は世界に溢れてていいと思う。

だから。
”デート”をしよう。
おでかけではなくて、心が動く、思わずわくわくしてしまうそんな時を一緒に過ごしたい。

今日も世界のあちらこちらに溢れてる誰かの、あなたの『特別』に心からの祝福あれ。

追伸。
サムネはとってもかわいいイラストに惹かれて、これがいいなと思ってしまったのと、”デート”っていう言葉が持つ『特別感』にわくわく、キラキラしてるイメージが重なる気がして選びました。

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