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無責任な言葉はサビたメスで手術するようなもんです

「君のことを守るよ」
「僕は君を裏切らない、今からそれを見せてあげるよ」

そう言った彼は、1週間間とちょっとで私をぽいっと捨てていきました。

色々なことに傷つき、「もう1人で生きていくしかない」と腹を括った矢先にそんなこと言われたら、そんな二十n年生きてきた中で喉から手が出るほど欲しい言葉を言われたら、もう信じるしか生きる術なんかないじゃないですか。

そして事前に私は
・感情調節不全になること
・そういう状態の時の私は「本心ではないこと」
を今節クソ丁寧に伝えました。この後、相手のことをもっと知りたいという意思を伝え、彼の話をうんうんとき聞き、対人理解をベースにした関係構築の努力をし続けました。

そして運悪く感情調節不全のスプリットとフラッシュバックの嵐、もう1人の自分が「やめてくれーー!」と言ってるのに目に入る全ての人を敵認定してしまう。
悲しさと後悔、相手を脅かしてしまった申し訳なさで電話をかけると「友達がいい」と言われたわけです。

う、嘘つきーーー!
また裏切るやんけお前もかー!!


それは自分に酔うための言葉ではないのか


私は口が裂けても、「守るよ」「裏切らない」とは言えません。私はどんな状況でもその責任を果たせなかった時に、すごくすごく傷ついてしまうことが身をもって体験したから。

こういう「重く」「相手の大事なところを暴きかねない言葉」は責任という技術を持ち合わせないと、ただただ相手の中身を見たいという好奇心だけで開腹する手術と何ら変わりなく、言葉というメスはサビ、相手に強烈な痛みを伴わせることは、健常者だろうが患者だろうが、きっとあるんだろう。

その言葉は自分がいい気持ちになるためのサビた言葉じゃないですか?
錆びたメスで切られたところを痛いと泣きながら止血するのは毎度、切られた相手です。

言葉を伴う対人理解は、そういう「傷つき」があるかもしれないという腹を据えて、しっかり相手と取り組める人が、一体どれだけいるだろうか。

人は八百万の言葉を操るのに、目に見えない心を扱うのは何でこんなに苦手なんだろう。

今日もまた、1人でちくちく「痛いなぁ」と言いながら傷口を縫っていく。傷つけるくらいなら、黙っていて欲しい。ヴィトゲンシュタインも多分そういうはず。

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