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ニュースの光と影

「クリエイティブな仕事がしたい」そう言って私がテレビ局に入社したのは、2017年のことだった。もともと音楽史を専攻していたわたしが、研究ではなく社会とのより強い繋がりを求める中で見つけた選択肢が、テレビの世界だった。ドキュメンタリーを創りたいんです、と面接で志望動機を語ったわたしが配属されたのは、報道部だった。取材を通して学び、あなたにしか出来ないものを創りなさい。そう背中を押されたのだろう。こうしてわたしはニュース記者としての第一歩を踏み出した。

石戸諭さんが上梓した『ニュースの未来』のページをめくりながら、わたしはテレビ局に入社してからの数年の記憶を、走馬灯のように思い出した。あまりにも刺激に満ちていて、あまりにもハードだった、記者として過ごした数年間の記憶を。

新人記者としての最初の年は、警察幹部への夜討ち・朝駆けで常に寝不足だった。事件や事故があれば、時間外も休日も関係なく、デジカメを抱えて現場に向かう。うららかな春に起きた凄惨な殺人事件、真冬の夜中に燃え広がった火事、事件の被害者の遺族の涙。直視できなかった現場は数え切れない。しかし悲しみや苦しみと同じ数だけ、幸せや喜びもあった。事実は小説よりも奇なり。そんな濃密な毎日だった。

そして、自分の作ったニュースがオンエアされるたびに胸が熱くなった。わたしが伝えたいと思ったことが、電波に乗って何十万人へと届いてゆく。社会との関わりを感じながら、多くのひとに影響を与えられている、という実感もあった。ニュースをつくる仕事は、ハードだけれど、たしかにやりがいに満ちていた。

ジャーナリストになりたいと思ったことはなかったけれど、伝えたい価値はいつもたくさんあった。世の中の多くの人に知ってほしいと思うネタが尽きることもなかった。こうした一記者としての想いが、ハードな環境にあっても、ニュースを作り続ける原動力になっていたのかもしれない。そういう意味では、わたしはニュース記者に向いていたのだろう。

石戸さんもまた、書いている。

僕はニュースはクリエイティブなもので、創るものだと考えています。ここではクリエイティブという言葉を、新しい価値を創造するという意味を込めて使っています。(中略)自らが発見し、価値を見つけ、創り上げていくことに最大の存在理由があります。(石戸諭『ニュースの未来』p.34)

石戸さんは、ニュースを「ただの情報」として、記者を「情報を集める駒」としては、位置づけない。ニュースはクリエイティブなものであると主張する。まさしく、そこにニュースの未来がある。記者たちの「伝えたい」という想いから出発した試行錯誤が、ニュースに普遍性をもたらし、価値あるものとして再定義する。

しかし、わたしがいつもクリエイティブだったかと訊かれると、イエスと答えることは難しい。シビアな現場の中で、あくまで情報でしかないようなニュースもたくさん作ってしまった。取材のハードさに追い込まれ、どこか人間らしさを忘れた振る舞いをしてしまうこともあった。たとえば、翌朝には公式発表されるネタの裏ドリをするため、深夜にピンポンを押すようなこともあった。速報性にばかり注心してしまい、ニュースの価値や本質を見失ってしまっていた出来事のひとつだ。後悔も数え切れない。

こうしたジレンマは、常に抱えていた。そしてわたしは2020年、記者をやめた。それから1年以上が経ち、ようやく記者という仕事を少し離れた場所から捉えられるようになった。言い換えるなら、ニュース現場のプラス面とマイナス面どちらも俯瞰的に見ることができるようになりつつある。

今回、石戸さんの『ニュースの未来』はその大きな助けになった。この本は、まさにニュースの光と影の両方に迫る一冊だ。かつての自分を捉え直すことができただけでなく、ニュースの本質とは何だったのか、多面的に考察するきっかけになった。ぜひ、メディアの世界で生きるかつての同僚たちにも、この本を手にとってほしい。そして「良いニュースとは何なのか」を考える機会になることを、心から願っている。

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