喜怒哀楽の焼きそば
とにかく、お腹が空いていた。
美術部という名の帰宅部だった高校生の私は、
帰宅から夕飯までの時間の繋ぎとして、
母によく焼きそばを作ってもらっていた。
歳の離れた姉達は早々に家を出て、父も帰りが遅くそれに合わせての夕飯だったので、
末っ子の特権を駆使し、欲望のまま
日々〝繋ぎ”の食事をオーダーしていた。
母の作ってくれた焼きそばの中で、
喜多方ラーメンの麺を使って、ウスターソースで
炒める
オリジナルの焼きそばが特に大好きだった。
炒めたオイルでコーティングされた艶やかな中太縮れ麺に、香味が効いたウスターソースがよくあっていた。野菜も入っているので、完全にヘルシー、
0キロカロリーだった。そんなごはんを独り占めできて、ただただ幸せだった。
そんなマイフェイバリット焼きそばが
憎しみの焼きそばになった日が1日だけある。
それは私の誕生日の日だった。
恐らく母は誕生日を忘れていたのであろう、
いつも誕生日にはトマトでプレートを縁取ったサラダや、好きなおかずを用意してくれ、ケーキも出してくれていたのだが
その日は父も出張でおらず
マイフェイバリット焼きそばとワカメスープだけが
食卓にあった。もちろんケーキはなし。
愛されていない
と強く感じた。
怒りでいっぱいになり、内容は覚えてないが
何かしらの文句を言ったと思う。
母がそれに対して何を言ったのかは記憶にないけれど、気まずそうな雰囲気があったのは覚えいる。
当時の私は、ただただ愚かで、
何も気づいていなかった。
2011年に東北大震災が起こり、その年の夏、
母は他界した。私は22歳だった。
もう、台所に立つ母を見る事はない。
空腹を幸せで繋ぎとめてくれた焼きそばはもう食べれない。
理不尽で、わがままな私を受け止めてくれていた母は、もういないのだ。
たくさんのもし、あの時、
を抱えながら私達家族は暮らしている。
私にとってのそれは、
もしタイムマシーンがあるのなら、
最悪な誕生日と思っていた当時の私に
ジャーマンスープレックスを決めてやりたい。
そして、思いっきり味わえよ、
最高の誕生日の焼きそばなんだから
と、言ってやりたい。
実質1人っ子の様に育った私は、
母のごはんを、愛情を、存分に味わっていた筈だ。
それだけで充分仕合わせじゃないか。
もう2度と食べれないあの食事を思い出して、
私は忙しい雑多な日々を過ごしている。
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