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お題。マジ大事マジ

1年と少し後のネット書き物生活20周年に向けて、365コのエッセイをもう一回書いてみよう!でも絶対1年で1日1コずつエッセイは書けないと思う!

んだからもうフライングしまくって書き始めちゃおうぜ!

って決めて4ヶ月くらい経ちupできたのが5コくらいだったりしている現状なんだけれど、今月のクリフェスことクリエイターフェスではここ半月毎日投稿をどうにかこうにか続けられている。

そこでこの違いは何なんだろうと冷静に考えてみて、即答えが出た。

お題だ。お題の有無なのだ。

もともと○0周年で365コのエッセイを書く、というのは、

一度ネット書き物生活10周年を記念し、産休育休もあいまって後ろ倒しになりつつ書き上げていた活動だったりする。(※お題をお借りして書いていたものだったので、こちらには1stバージョンは投稿していない)

当時答えに詰まるお題もちらほらあったので、2ndチャレンジではノーお題でやろうと決めて、やけにどんどん長くなるタイトルで思いっきりフリーダムなエッセイを書き始めていた。

が、そうしてみたら全っ然書き進められていない現状が待っていたというわけである。

いろいろ今月までの数カ月間、書くことに気持ちが向けられていなかった時期もありつつも、詩(詞)は降臨したらベースでちらほら書けていたこともあったのだ。

そしてなんだかんだ言ってクリフェスも現状毎日書けている。

一部だけでも降臨してから形になっていた詩が、なんで書きあげられていたかというと、降臨したフレーズから前後の流れを音の数に合わせつつ考えて、「こういう流れで書こう」という方向が定まり形になっていったから。

そりゃノープランで書こうと思ったら書けないわけだ。

僕はひょっとして、自分にとって合わない書き方をしているのでは?

とは、うすうす気付いていた。

noteをクリフェスの画面を開く度に目の前に飛び込んできてくれるお題の存在に、何度救われたことだろう。

ときどき「このお題で何を書こう?」というものも正直あるけれど、

未知のフリーダムなポイントを闇雲に見て「何か書こう」の状態から、

お題という『方向性』に向かって思考が一直線にまとまっていく。

どこかに縛りやテーマを設けることで、思考がとっちらかりづらくなり、アイディアも出るし書き上げることもできるのだ。今気付くのかこれ。

もともと何かしらの30のお題、100のお題、など、いろんなサイトのお題をお借りして詩を書いていることが多かったけれど、投稿サイトなどにも同時掲載する関係上不都合なことも多々あったので、近年ではお題をお借りすることは控えていた。(実はこのお題を使ってるけど、あえて表には書かずにいます。みたいなのは僕はやらない)

ただそうなると、自分で自分にお題やテーマを設けなければいけないんだということを、もっと前向きに考えてみたほうがよかったなとか反省する。

まずはもう半月のうちは、お題から自分の目の前に現れてくれるというありがたみを感じ、しばらく書き続けてみたいと思う。

お題をどうやって作ろうか、というのは、過去に僕自身でも作ったことはあるけれど、お題にも個数や内容によってテーマや方向性を定めればどうにかそれなりにまとまりが出ると思っているので、来月以降もnoteを書き続けてみたいと思ったときには、何かしらを考えたいと思う。

というか来月からはまた365通りのエッセイvol.2を書こう。ね?うし。

ちょっと真面目に、5コごととか10コごととかお題性は考えてみます。


#noteのつづけ方

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