想像できないものを理解することってなかなか難しい

今日たまたま読んだこちらの記事から思ったことを書こうと思う。

<あらすじ>
僕(ゲイの男性)がパートナーの男性と式を挙げる。
その二人のことが取り上げられた新聞記事を見て、かつての僕の彼女が連絡をよこす。
彼女は性同一性障害で、今は男(FtM)としてケンジという名前で生活していることを明かす。
当時僕にも好きな男がいて、そんな中でケンジと付き合っていたことに後ろめたさを感じていたが、ケンジの方も女と付き合っていたことが噂になっており、カムフラージュのために僕と付き合っていたことを告白する。
同じセクシャルマイノリティーが過去に付き合っていたことは「奇跡」みたいに思えるかもしれないけれど、そうでではないと僕は言う。
「当事者に会ったことがない」「身近にそんな人はいない」という人が多くいるけれどそれは間違いで、カミングアウトを「したくてもできない」人が多いためだと理由付ける。

この手の記事が流れてくると、ついつい読まずにはいられない。

私は状況がケンジ側に近いけれども、オープンにできずに苦しんできたというところでは僕(ゲイの男性)側の心情も理解できるので、当然ながら共感できるところが多々ある。


しかしマジョリティー側の見解の方も気になるタチである。標本も多いし参考になる。

この記事についているコメントもあわせて読める。匿名かつ顔出しではないので本音に近い内容なのではないだろうかと思っている。
他のLGBT関連の記事の場合も含め、私はそれらのコメントを見て、肯定的な意見と否定的な意見のそれぞれの内容や比率から世間での認知や許容度の一つの指標にしている。

もちろん記事によってバラつきがあるものの、ここ近年は少しづつ肯定的な意見も増えているように感じている。

一応ここで断っておきたいのだけれど、ここで申している「肯定的な意見」というのは、(ただそこにある・いるものとして)存在を認めるという意味での肯定と捉えていただきたい。

「理解」と「肯定」はまた別ものだと思っている。

心情や状況までをつぶさに理解してほしいというのは正直かなり難しいと思っているし、相当な想像力が必要なことだと思っている。
その証左として、以下のようなコメントが出てきているのも事実なので。

個性なのだから、別にカミングアウトなどしないで、普通に生きればいい。
  
夫がゲイと知らずに結婚した妻はひどい詐欺にあったようなものだろう。
  
理解を示さないと差別だ!と非難されるため、世の常識人は表面的に理解している風を装っているに過ぎず、腹の中では異常者だと思っています。
  
付き合った女の子の時間を返してやって欲しい。恋愛ってのは本来生殖目的なんだよね。生殖可能年齢って時間が限られてるんだから、ノーマルな人に手を出しちゃいかんよ。

当事者よりで少しは考えてみようかという御慈悲がまるで感じられない笑

想像=像(=対象)を想うってことなので、まずは想いやりからではないかと。

でも仕方のないことではないかと思っている。
私は肯定的ではない人たちの意見も尊重するし理解しようと思うけれど。

私たちセクシャルマイノリティーの当事者は、このような考えを持つ人たちがやはり一定数はいるってことを念頭におきつつ、ここまで大きなギャップがある場合はほとんど分かりあえないものと思っておいた方がいいのではないかと思う。

たとえば、身体的な障碍を持つ人たちやいじめられっ子の心情や状況は、大半の人にとっては比較的まだ想像できるところはあるのではないかと思われる。(サイコパスとかは除いて)

いくら言語化できていても、想像できないものを理解することってなかなか難しい。

全然うまくない例えかもしれないけれど、数学が全然ダメな人が数学がすごくできる人の考えが理解できないってことの方が、当事者が理解されない状況にまだ近いんじゃないかと。(私のことです)

あるいはこんな例え。これは当事者としてかなりしっくりきている。

治療方法がない疾病にかかり、その激痛に耐えかねて、床の上で転がり回って苦しんでいる人に対して、あなたは『それは治療する手段がありません』『死ぬまで我慢してください』と言えるでしょうか?

「死ぬまで我慢してください」と言われているっていうのが、私たちだったりするわけです。
特にGID当事者のほとんどは同意すると思うけれど。決して大げさな表現ではなくて。

でも非当事者にはほとんど伝わらないと思う。文字どおり重い病などで同じような思いで生きている人たちは除いて。


よく「差別」という言葉がLGBTの話題の中で登場するけれど。
私は前々からこの言葉がどうもしっくりこない。
はっきりいって生ぬるい表現だと思っている。

よりしっくりくるのは「迫害」かな。

以下コトバンクより。

差別
取り扱いに差をつけること。特に、他よりも不当に低く取り扱うこと。「性別によって差別しない」「人種差別」
  
迫害
弱い立場の者などを追い詰めて、苦しめること。「少数民族を迫害する」

まさに追い詰められ苦しんでいるのが実態でして。

斜に構えすぎなのか、他人や社会のことを信用しなさすぎなのか、こんな表現でしっくりくるなって言っちゃうところにまた自己嫌悪しつつ、今宵はおひらきといたします。


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