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「姉を超えられない」と勝手に自分の首を絞めるのをやめたい


私には3つ上の姉がいる。

以前姉の結婚式でスピーチをした記事を書いたが、小さい頃から今も現在進行形で仲のいい姉妹である。

喧嘩なんてほとんどしたことがないし、なんせ性格が真逆なのでぶつかるところがなく、とても合うと思っている。


ただ、いくら仲が良くても、「姉」という存在は良くも悪くも大きい(99.999%良いことしかないが)。


どこの家庭でもよくあることかもしれないが、どうしても姉妹で比べられてしまう。



内面的なところでいくと、姉は、芸術的センスがあるタイプ。

昔から絵を描いたりデザインしたり、ハンドメイドで何かを作ったりするのが好き、そして上手。


そんな姉とは対照的に、私は芸術的センスはない。


ないと言っても、例えばクラスで一番絵が下手というほどは悪くない。

ドラえもんもミッキーもそこそこさらっと描けるし、見本にするものがあれば模写するのは不得意ではないと思う。


ただ!
クリエイティブに自分のアイデアを出して、自分の好きな絵を描いたりすることがとてーも苦手。

訓練すればクリエイティビティは培うことができるのかは分からないが、30手前にして今だにそこのセンスが磨かれたとは思えない(大した努力もしてない)。


そんな私は、芸術・美術等に関することをするたびに姉と比べて、あーやっぱり自分センスないなーと思い続けてきた。

それは親も思っていたようで、はっきりと口に出して「お前はやっぱり〇〇(姉の名前)とは違うなー、そういうセンスはないなー」と特に父親が頻繁に言ってきた。


今思うと親としてそんなこと言うなんてひどいやん笑と正直思う( ˉ ˓_ ˉ )


例えば、大学時代に付き合っていた彼氏に、記念日のプレゼントとしてフォトアルバムを手作りで作ったことがある。

夏休みか正月か忘れたが、実家に帰省している時にもアルバム制作の作業をしていたため、当然親にも見られた。


彼氏が喜ぶかなと思って一生懸命作っている私に対して、父親が先ほどの言葉を放った。

「お前はやっぱりこういうセンスはないよなー」

・・・いや、今改めて書いてると、やっぱりひどいな!Σ(・ω・ノ)ノ!


言われた時は、さらっとなんか冗談っぽく明るく返答して終わったが内心泣きたいくらいグサッと傷ついていた。

そんな小さなことでと思われるかもしれないが、それまでも言われ続けていた蓄積があるし

特に自分でも苦手だと知りながらも、喜ばせるために頑張っていた時に言われたので、

はぁ、、、、、(´;ω;`)


と悲しくなってしまったのだ。



姉はというと、もちろん姉が当時の彼氏に作ったアルバムはおしゃれでセンスがある感じに仕上がっていた。


自分のアイデアもないし、また比べられてちくちく言われるのお嫌なので、姉のアルバムデザインをほぼ丸パクリしてアルバムを作ったこともあるが、

この時ばかりは自由に自分の作りたいように作ってみていたのだ。


そしたら案の定・・・( ^ω^)

やっぱり自分はセンスないんだなーー
自分的にはそこまで悪くないと思って作っているんだけど、
そりゃ姉と比べられたら劣るわなー・・・


こんな風にして、「センスがない」「自分のアイデアを出して頑張っても認められない」「ダサい」といった自分を否定する気持ちが年々強くなった。


芸術的センスだけではなく、何をするにしても、「姉を超えたい」という気持ちと同時に「どうせ姉を超えられない」という気持ちがあった。


そんな姉の欠点(特徴)として、「コツコツ努力するのはそこまで得意ではない」というところがある。


一方の私は、センスはないが真面目に努力を続けることはできる子であった。

そういう点では姉より優れた結果を出しているように見えたこともあったが、私の心の中では、姉も私と同じくらい時間をかけて努力したらどうせ私よりいい結果が出せる、と考えていた。


姉は全く悪くないが、私の中で無意識のうちに姉といつも比較して勝手に落ち込んで、、、という悪い癖がついてしまっていた。


社会人になり、お互い全く違う職業についたことで、比較する場面が減ったため、姉に対する劣等感は少しマシになったかなと思っていた。


自分の仕事がレベルが高くて難しいことも認識していたし、大きな会社に就職できたことに少なからず誇りを持っていた。


3年が経過し、私は国際結婚を機に会社を辞めた。

自由になって自分のやりたいことをやるんだー!と最初の一年はわくわくしていい気分だった。


会社を3年で辞められる自分もなぜか誇らしかったし、他の人とは違うことをしている、という嬉しさもあった。


そして会社を辞めて早2年が経とうとしている。


半年ほど前から焦りや不安が募り、毎日何かしなくちゃと思いながらも何をしていいのか決め切れず、何となく納得のいくことができずに日々が過ぎていく。


フリーランスって響きだけはかっこいいかもしれないが、実情は全然そんなことない。

規模はとても小さいが翻訳のお仕事を3か月ほど前から始めさせていただいていて、そちらはもちろん自己肯定感を高めるという意味でもすごく役に立っている。


ただ、それだけでは生活できるほどのお金を稼げているわけではなく、結局は夫に養ってもらっているという構図は変わらない。


夫は、私が前職で働きすぎてストレスが溜まっていたのを目の当たりにしているので、今度こそは私の好きなことをしてほしい、と本気で思ってくれている。

なのでただお金を稼ぐためだけにバイトをしたり、再就職したりということはしなくてもいい、自分の好きなことを見つけるためにいろいろなことに挑戦したら?と言ってくれている。


とても寛容で素敵な夫。


夫には感謝しかないが、養ってもらうことに慣れていない私は、自分の稼いだお金じゃないと自分の欲しいものを買うのも億劫になり、我慢してしまう。

先日なんて、ファンデーションを買ってもいい?と聞くのも少し勇気がいったほどだ(笑)

夫はもちろん二つ返事で「もちろん!」と言ってくれるので、勝手に私が億劫になっているだけ。


そして、そもそも自分でお金を稼げていないと、だんだん自分に自信がなくなるし、自己肯定感もダダ下がりする。価値がない人間だな、とまで思う日もある。


そんな日々を繰り返していてもいい加減やばいぞ!と最近特に危機感が募ってきて、自分の好きなことを見つけるために今はいろいろ取り組み始めている。

そのうちの一つが動画編集

自分の結婚式でオープニングムービーとプロフィールムービーを自作してから、動画編集に興味を持ち始め、もっと上手になりたいと思い、本格的に取り組むことにしたのだ。


ただ、、、ここでも昔から蓄積された姉への劣等感が邪魔をする。

動画編集にもある程度のセンスや自分の感性が必要になると思うが、私はやっぱりセンスないなーと思いながら取り組んでしまう。


テロップの色やタイミング、効果音など、こうしたほうがいいんじゃない?という感覚がないような気がしてしまうのだ。どうすればいいか思いつかない、分からない、と苦しくなって純粋に創作を楽しめない。

もちろんまだまだ初心者なので当たり前かもしれないが、姉だったらもっといい感じに作れるんだろうな~という考えがまとわりついている。


その考えのせいで、自由な創造ができないし、逆に失敗もできない。
動画編集以外についても言えることだが、こうしとけば受け入れられるかな、といったいい塩梅のところで何となく中途半端に終わらせようとする。


姉と比較して、自分に自信を無くして、自分の可能性をつぶしているだけだ。



さあこのままではいよいよよくないぞ、どうしようかと改めて考える今日この頃。

父親のせいにしたとしても、今となっては変えられるのは私しかいない。


私に植え付けられた姉への劣等感は自分の努力で拭うしかない。


最初は下手でダサくてセンスなさそうに見えるかもしれないが、続けていけば何か変わるかもしれない。例えば編集の技術をもっと学んだら、アイデアをもっと出てくるかもしれない。自分のアイデアがない、のではなく、アイデアを出せるだけの知識や経験がないだけかもしれない。



新しいことを始めるたびに、「どうせ私なんて・・・」がつきまとっているが、その考えをなくすためには、その考えにならないくらいやり続けてスキルを身に付けて、成長するしか方法はない。


いろいろなことに中途半端に手を出すのではなく、まずは一つのことを極めることに集中したい。


一つでも「これなら人よりできる!」と自信を持って言えることがあれが、劣等感は少しマシになるのではないかなと考えている。


子どものころから培った「コツコツ努力をすること」を改めて腰を据えて取り組み、一つずつ自分の可能性を広げていきたい。


元々好きな英語はもちろん、新しいことも挑戦する。

動画編集を極めたところで何につながるかまだ見えていないが、少なくとも家族のために自分が形にしたい動画が作れるようになるので必ず自信につながると思う。


姉に負けたって別にいいじゃないか、私は私なりのセンスで、努力で培った知識と経験、スキルで勝負すればいいじゃないか。


自分の人生を謳歌するために、自分の挑戦したいことを見つけて、スキルを身に付けて、最高に楽しんでいこーーー\(^o^)/


ということで今の想いをひたすらに綴った記事になってしまったが、ここまで読んでくださってありがとうございますm(_ _)m

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