二つの○○が必要?
みなさま、こんにちは今日は複数の視点と言うことでお話をしてみたいと思います。
私たちは、ややもすれば、ある一定の視点からしかものを見ない傾向があります。
まぁ、それはやむを得ないことでしょう。
ただ、それが凝り固まってしまうと過労と一緒でなかなか取れなくなる。
物事の考え方も一緒で、重症になると、「坊主憎けりゃ笠間で憎い」よろしく何が何でも反対と言ってしまうんですよね。
結局そうした「思考停止」してしまうと後はよく考えなくなってしまう。
一方的に、「悪い」と決めてしまうんですね。
最近は、あまり話題に上りませんが原発の廃止運動と言うデモも一時期流行しましたね。
まぁ、保守の方にも原発反対と言う方もおられれば、そうでない人もいるわけですね。
反対派の人は、「もしまた、福島のような事故が起こったら」とIFの話をしますが、韓国や中国の原発が事故を同じような事故を起こしたら・・・とは考えません。
実は驚くことに、多くの反対派の人は小浜の原発は気になっても、韓国の原発は気にならないんですね。
個人的には、韓国で事故が起こった場合偏西風に乗ってやってこないと限らないと思うのですが・・・
そうして、もう一つ大事なことは、そうした事故があったときにそれをどうして収縮させるかという技術が必要なんですね。
技術が無ければ、ただ垂れ流しを見守っているだけ?になりますよね。
結局はこうした新しい技術開発などを、事故を事故と捉えることでその対応策を考えることができると思うんですね。
その前には、温暖化防止が流行でした。
割り箸を使っては、森林が伐採されるからマイ箸を使いましょうと言った。
でも現状はどうであろうか?
間伐材で作られていた割り箸を使うなといったので、今度は林業が疲弊、さらには中国から割り箸を大量に購入しているという事実、そして肝心の中国では・・・砂漠化が進んでいる現実
結局、良かれと思ってしているこうしたこともその方向性が間違えているとより悪い方向に行ってしまうんです。
常に複数の視点から、例えば原発停止で安全か?というと原発というのは使っていなくともコストがかかるんですね。
火力みたいに使わないときは火を消しておけにならないんですね。
それじゃ、ひとまずは動かしながら。もちろん新耐震基準などをクリアさせなくてはいけないけれど、新しい技術を確保していくといった複眼的な考え方を持ってほしいんですよね。
そうして、複眼的な目を持つことの重要性は、将来の見通しなども考えることができると思います。
よく、眼球が二つある理由、聞かれたことはると思いますが、距離感を知るためにいるんだそうですね。
考え方も複眼的に捉えることで距離感と言うか一番重要なところは何かという点が見えてくるのではないでしょうか。