権威と権力
この記事は、今年の4月に書いたものですが、図らずも今回、自民党の総裁選が行われることとなりましたので、改めて「権威と権力」と言うことで、私なりに思うことを思うままに書かせてみようと思います。
権威とは、そして、権力とは?
個人的には、
権威とは下から盛り上がってくるもの、
権力は上から押さえつけるもの
と定義づけしています。
どちらも何らかの力があるのですが、権威というのは自らの働きと言うよりも、周りからの引っ張りというか押し上げで有り、権力は自らの、もしくは組織としての押さえつけになります。
権力も、それが容認できる範囲の中であれば、さほど大きな反発も起こりませんが、容認できる以上の力になってくると覆されることになります。
おれは、組織のトップだと行って胡座をかいていたら・・・その場を追い出されるかもしれません。
まあ、これは古今東西何度も繰り返されてきた愚で有り、改まっているとは言えそうに無いです。
何故繰り返されるのかは?別の機会に譲らせていただくとして、権力というのは力を持たないものからすれば魅力的に映るのかもしれません。
そして、その力を手に入れると、使ってみたくて仕方が無い・・・しかし、その力の使い方を誤るとそれが大変なことになるのを知っている人はその使い方に臆病になるというか、ギリギリまで使わず、ここぞというところで力を使う、そんな風に力をコントロールする方法を知っています。
私自身、40年前に警察学校で警察官の候補生として初任科で学んでいた頃。【警察官は半年間は仮採用で有り、半年後に本採用、任官するのは基本的にはそれ以降で有り、半年後に始めて拳銃、手錠、警察手帳が貸与されたものでした。
そして、行政法の授業の中で言われたことは、警察官として一線に出れば【現場に出れば】、世間では、二十歳の若造であっても警察官として権力の象徴として扱われる。
そこで、勘違いして自分が偉いとか思ってはいけないと強く言われたものでした。
その権力は、国が一時的に与えているもので有り、それを勘違いしてしまってはいけいないと諭されたものでした。
そして、私自身はその後警察を辞めて郵政省に転職して、地方郵政局の勤務になりますが、そこでも意識したのは、権力を濫用しないということでした。
郵政局は、その性格上本省の地方機関で有り、郵便局を統括する立場で有り、郵便局長に対して直接命令を出す立場でした。
言ってみればそれだけ権力があるわけですが、それを自分に与えられた権力では無く、借り物であるわけであるからその力の使い方は慎重かつ限定的でなければいけないと常に意識したものでした。
それ故に、私は権力に対して強権を発動するものには反発するものの、自身がそうした力を使う立場になったときは、常に意識して行動するようにしています。
その逆に、権威というものは下から支えてくれるものですから、神輿に乗るものが、自ら降りる、もしくは信用失墜行為をしない限り、その神輿を支えるものが逃げ出すことは無いわけです。
学者などで〇○の権威とか言われたら、それだけでなんか凄い人だなぁと思ってしまいますが、その人が信用失墜行為を行ったとしたら・・・たちまちその権威は地に落ちてしまいますよね。
その逆も然り、無名の人であっても、何らかの権威ある賞などで認められれば、一気にその道の権威と崇められるわけですからね。
むしろ、権威を得ると言うことは、更にその地位を保とうと思って、自らを律するわけですので、自ら力を振るうと言うよりも力をセーブすると言うことになりますので、より力を自ら付けていくことになるのでしょうね。
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