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許すということ

この記事は、昨年7月4日に書いた記事であり、その1年後には本人が政治の世界から引退することになるとは誰も予想していなかったと思います。

彼を見ていて感じることは、以下のような感想を私は抱いたと言うことです、一言で言えば、この人には「恨む」という言葉はあっても、「許す」という言葉がないことに尽きると思います。

人は「恨む」ことは簡単ですが、「許す」ということは中々出来ないものです。

言わば自己の欲を捨てて、全てを包括するだけの覚悟がいるわけです。

私のような凡人では、残念がらそういった境地までたどり着けません。

逆に、そこまで辿り着くことが出来れば、それはもうひとつ、新しい世界が見えているような気がします。

今でも、心では「許す」という気持ちを持ちたいと思いながらも、忘れなれないことが二つあります。

この二つを許すことが出来れば私も人間として成長すると思うのですが・・・

残念ながらまだ、私にはこうしたことを許せない、情けない自分があります。

まぁ、笑ってやってください。

一つ目は、堺市の同和地区の人間に騙されて、サラ金で無理やりお金を借りさせられて結局その借金返済のために労金で借りて支払った他、それ以外にクレジット代金など500万円ほどの負債を抱えたことです。

そして、これが原因で私は最初の結婚に失敗し家族を失いました。

そして、もう一つは、一緒に仕事をしようと誘われてなけなしの退職金とさらに保証協会から1000万円の運転資金+銀行系カードローンへの借り入れなどをさせられて結局金だけ取られて半年後に追われるように飛び出すはめに。

どちらも私にとっては負の歴史です。

ただ、最近はそうしたことを思わないようになりました。

あの金があれば、・・・そう思わないことはないです。

でも、憎んで、若しくは恨んでお金が返ってくるのであれば、いくらでも恨みましょう。

しかし、「恨み」はマイナスのエネルギーを生み出すことはあっても「プラスのエネルギー」は生み出しません。

エネルギーの保存の法則があって、エネルギーというものはあらゆる形を変えて存在するのであれば、正のエネルギーを周りから少しづつ戴いてそれを一気に放出する方が良い、そんな気がします。

だから、みなさんも憎むこと、恨むこと、有るかもしれませんが。

少しづつでいいからそういったエネルギーを「負」から「正」に転換していきませんか?

私の願いは、少しでも「明るいエネルギー」・「正のエネルギー」が集まるとき、その人が持っているエネルギーの相乗効果でより大きなものが達成できるのではないかと思うのです。

みなさん、今日は元気になる話で無くなってしまってごめんなさい。m(__)m

あすからは、またみんなが、元気になるお話をさせていただきますね。

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