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誰か私をくいとめて|映画「私をくいとめて」感想

芸術の秋ということで、今日は映画の話を。
最近見返して、改めて良いなぁ〜〜と思った、
「私をくいとめて」について。


綿矢りさの小説が原作。私は映画公開に先駆けて小説を読んでいて、この小説の世界観を、どう映像で表現するのか、楽しみにしていたのを覚えています。

もうすぐ33歳になる黒田みつ子。迷ったことがあれば、脳内にいるもう一人の自分である相談役”A”の声に従い、おひとりさま生活を満喫している。長い間恋愛から離れていた彼女だが、仕事の取引先の年下男子に恋をする。戸惑いながらも、勇気を出して一歩踏み出そうとする彼女の、葛藤と奮闘。

”わかりみ深すぎ崖っぷちロマンス!”(文庫本表紙より)


拗らせアラサー女の実態がリアル。とにかくリアル。

何か一つ腹立たしい出来事があると、それをきっかけに、ふつふつと怒りが湧き上がって、とめどなく溢れてくるところ。
過去にあった嫌だったこと、誰かに言われてイラッとしたこと、関連することからしないことまで、何でもかんでも思い出して、はらわたが煮えくりかえる。一人で、勝手に。私もよくやる。これ以上に無駄な時間とエネルギーの使い方ってないよな、といつも思う。

おひとりさまに慣れ過ぎて、恋愛に臆病になり過ぎて、他人と関わることなんて面倒臭い、一人でいる方がましと思ってしまうところ。
ずっと自分のペースで、誰にも邪魔されずに生きていたのに、それを崩されるのは不快だし、怖い。でも、誰かと関わりたい、なんて思ってしまう矛盾。

自分だけがずっと同じ場所から動けずにくすぶっている、他人の変化を受け入れられないところ。
周りの人達は結婚や出産など、どんどん次のステージに進んでいく。取り残された自分。過ぎていく時間。平凡な幸せが私を追いやる。見て見ぬふりをしたくなる。気にしていないつもりでも、SNSの画面をスクロールする指は止まらない。少し下に見ていた友人からの彼氏ができた報告や、結婚を機に外国へ引っ越した友人の妊娠。他人の成功や変化を素直に喜べない心の狭さと、そんな自分に対するちょっとした失望。あるよね~。

映画の演出としては地味かもしれない。でもその地味なテーマこそ、身近に潜む大きな共感だったりする。この人間臭さこそが、最大の魅力。

彼女が特別おかしいんじゃない、誰の中にも彼女はいるのだ。

そしてなんといっても、飛行機のシーン。大滝詠一の「君は天然色」の歌詞が風船になって飛び交う演出は、ポップでシュール。印象的で心躍る。映画を見終わる頃には、ついつい口ずさんでしまう。

最後までのんちゃんが30代には見えなかったのと、中村倫也は出てこないんかい、というところはつっこみどころだけど。

自分の内側に秘めた衝動は、歳を取るにつれて、解放しづらくなってくる。でもきっと、恐れることはない。爆発してこそ、本当に大切なものがわかったりするのだから。

くーちびるーつんとーとがらーせてー。

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