見出し画像

どこかで、誰かと幸せに。


私にとって1ミリの狂いもなく、すべてが完璧。
あなたと走りぬけた9年8ヶ月は
とても美しく、あまりにも短い。

この気持ちを、
どうしても目に見える形で記録したかった。
これは愛車を手放した、私のお話。


迷いはなかった


出逢う前から、準備はしていた。
いつやって来ても良いように。

子供の頃からスピッツの『青い車』という曲が好きだったので、色はすでに決めていた。
まだ試乗車も店頭に出回っていないほど新しい車、
カタログだけでしか確認できなかったが
私が求めていた『青』がそこにあった。

突然のスコールが一瞬で過ぎ去ったあとの、
すこし水分を含んでトーンダウンした空の青。
まだ地面は濡れているが空気が澄んでいて
あの雲が動けば空は『いつもの青』に戻るだろう。

私はほんの僅かの時間に現れる
『その青』が好きだった。

『その青』にいつでも会えるから、
だから迷いはなかった。


独りじゃなかった


私の20代は、あなたとの歴史でもある。
仕事が終わり疲れて車へ向かうと、
『おかえり』『早く座って休んで』
と言っている気がした。

大型のショッピングモールで、
どこへ停めたのかわからなくなっていると
『ここだよ!』と声がして
振り向くとそこにいたりした。

車検などで、高額な部品の交換が必要になり
貯金を崩して修理に出したことがあった。
整備が終わり、乗り込んでハンドルを握ると
『ごめんなさい』
と落ち込んでいた。

ここまでくると頭のおかしな人だと思われるかもしれないが、至って真面目に、真実を話している。

あなたは私の、喜怒哀楽を全て知っている。
つらい時も一緒に泣いてくれて、励ましてくれた。

だから私は、独りじゃなかった。


エンジンが、かかった瞬間


自宅から職場までは遠く、
走行距離はどんどん積み重なった。

もしかしたら、そろそろなのかもしれない。
とは思いつつも手放したくなくて、モヤモヤしながら一緒にいる日々が続いていた。

そして9年目にして、初めて傷をつける。

ただの不注意だと言えばそれまでだが、
ずっと決断できずモヤモヤしていた私に
その身を犠牲にして喝を入れたのだと思った。

それは運転歴14年目で、初めてつけた傷でもあったからだ。

『これでやっと決めてくれるかな』
『ちゃんと前に向かって進むべきだ』
今度は、そう言っているのか。

普通は、買い替えを検討し始めると
拗ねて故障が多くなったりするのだが、
それだと余計に気にかけて、愛着が増してしまうと思ったのか。

動かなくなるまで、一緒にいたいと思っていた。
でも知識のない私では、この先何が起こっても助けてあげられないと思った。


あなたの生き方として考えた場合、
一度、今リセットして誰かにバトンタッチすることで
またこれから何年も元気で走れるのだと。

あなたを手放す、エンジンがかかった瞬間。


褒められてばかり


それから、私はようやく行動に移した。
あんまりあなたの声は聞こえなくなったけど
私はいつもよりたくさん話しかけている。


あなたを引き取ってもらうために、
いくつか業者に相談もした。
その際、


『アピールポイントはありませんか?』
と聞かれ、
『気持ちを読みとって、話しかけてくれます』


とは言えずに、内装が綺麗だの無難なことを言ってしまってなんだか悔しかった。

でも中には
『まだ乗れますよ』
『綺麗なのに、本当に手放すんですか?』
と言ってくれた人もいた。

やっぱりあなたは褒められてばかり。
大丈夫、私はちゃんと進んでいるよ。



もう二度と会えないけど、
きっと雨上がりの空を見るたびに思い出す。


だから、どうか


どこかで、誰かと幸せに。








この記事が参加している募集

#熟成下書き

10,588件

応援したいと思ってくれたらうれしいです! これからも楽しく記事を書いていきます☆