見出し画像

自創作『海へ出る』の自己満一人反省会と書き損じのこぼれ話。

どうもこんにちは。

先日こちらでも紹介させて頂きました自創作『海へ出る』の反省会と作中キャラ語りと、書き漏らしたんだよなぁというネタなどのこぼれ話を勝手にしたいと思います。

読んでない方はよかったら読んでってください。


こんな感じの冒頭の一部ブロマンス要素もあるかな?なお話です。

画像1

「海へ出る」

#ノベルアッププラス  での掲載は こちら
#エブリスタ での掲載は こちら

完結済みですので、ノベルアップ+では最終話でアンケートも実地してます。ご協力頂ければ幸いです。

はいここまで宣伝!最後まで読まれてない方はBackをオススメ!


ではでは

本題の反省会

に移っていきたいと思います。

最初の言い訳。この話は、とある版権作品の主には音楽、および映像に影響を受けて勢いで書きました。知識も浅く、不勉強故に掘り下げることのできなかった箇所が多数ありました。わかっていて、調べて勉強してからだとこの熱が冷めて絶対に書かない。という自分の性格を考慮してあえて一気に書き上げた話です。

自分の感情に忠実に、ただ「好き」と、「書いてて楽しい」だけを盛り込んで書きました。

だからとは言いませんが、最後まで「あれって結局なんだったの?」な個所が結構ありま(した)す^^;
実力と勉強不足でした。ご容赦下さい。

自分で判断できている箇所を上げつつ、言い訳と設定、ついでにキャラ語り(メインかも?)をしていきます。

全部フィクションですし、私が詳しくないので現実の歴史的内容は出てきますが、実際のものと混同されてしまうと間違いが多くあるだろう点もご容赦頂きたく思います。

※間違っているのは完全にわたしの知識不足ですが、フィクションなので全部嘘だと思って読んで頂ければ幸いです。


まず、

藍色の本 はなんだったの? 読んだの?
 内容については一切触れず、最初にちらっと出てきただけでしたね。引っ張るかどうか、考えたけど夢の中と現実を繋げるための印象としてだけのアイテムです。
 内容は考えてません!
 考えてみようとはしたけど、必要ないし要らないかなと思い省きました。
 ちなみに、 舟は読んで、愁は読んでいない。 です。
 →必要ないと判断したのは?
 愁が読んでいないからでもあり、舟が読んでもそこから貴瀬が自殺した理由はわからなかったから。です。愁が読めばわかったのでは?という流れも考えましたが、表現できる気がしなかったので、投げました←ゴミ

・貴瀬の自殺の理由は結局なに?
 
そもそもから、二人の目標は「あくまでも二人で」 "海(広義)に出る" ことでした。
 曖昧に表現してますけど、ようは『二人で作家としてかつての文豪のように広く世に名を残そうね』的な意味です。
 二人の雰囲気は明治大正の文豪の関係をイメージしていましたが、二人が生きた時代はおそらくそれより後じゃないかなと思っています。(でも読んだ人がいいと思った感覚の時代で生きたことにしてくれれば全然いいです。特にこだわりがないので)
 一応作中でも書きましたが、『高瀬沢紀』は作家としてそこそこに売れました。つまり売れる作品を書ける文筆家だった。逆に、『竹田舟』という作家は書いても大衆受けしない書き手でした。
 けど、貴瀬(高瀬沢紀の本名)個人は『竹田舟』という作家の書くものが好きだった。ファンだったからこそ、世に認められると信じていたし、一緒に書いていきたいと思っていた。とても才能を買っていたということ。
 けど、自分(貴瀬)が書く文章は舟のように書きたいという自分の思惑とは違う、『一般に受ける』文章だった。(ぜいたくな話だな)
 舟にとってみれば、ただ羨ましいだけのないもの強請りで、貴瀬が自分を褒めるたび惨めな気分になったことでしょう。
 お互いが『隣の芝生は青い』状態のまま、距離が離れていく一方だと思い込み、貴瀬の方が”先に、相手との心の距離が開き続けていくことに絶望したから。”というのが正解。
 書かなかったのは、書いてしまうと陳腐に思えてしまうんじゃないか、冷めてしまうかな?と判断し、割愛しました。
 貴瀬側を書くだけの力量と表現力があれば説得力を持たせられたのかもしれませんが………ないから言うてもしょうがないかなって。

 ただ、他人にとっては大したことだと思えないことでも、死を念頭に置くことはあるし、自分から死を選び実行するのが人間だと思うので、死にたくなったら死ぬだろ。って思って書いただけな部分もあります。思想観念の問題だね!

だから、
 → なんで書かなかったの?
って聞かれると、死んだ人は口を利かないから。でした。

高瀬の最期はなんでずぶ濡れだったの?
 首を吊る前に入水に失敗したからです。

・舟はなんであんなにこじらせてんの?
 
性癖!


あとは、作中で既存作品を上げたことでイメージが引っ張られてしまったかな?と思うのは、『高瀬舟(作者:森鴎外)』に関して。
貴瀬も舟も森鴎外や他の文豪たちの影響を受けたはずと思って書いたし、出す必要もあると判断したので仕方ないけど、高瀬の名前は、この作品からではなく、実在した運搬用に人工に造られたという高瀬川の方からとっています。舟も『高瀬舟』というよりは、川から出発するための舟のイメージが作者としては強め。


ノベプラの方だけはあとがきにも書きましたが、
二人とも京都の伏見で育ち、お互いに土地縁の名前をペンネームにした。 という設定で、“僕”は竹田舟(本名を、武田しゅう)“たかせ”は高瀬沢紀(本名が、沢木貴瀬) 現代の二人は、竹田愁と高瀬沢汽です。〈コピペ抜粋〉

書いてない時点ですでにあれですけど、貴瀬が入水しようとしたのが高瀬川か宇治川かは決めてません。(その時代の川の様子を知らんので…入水できそうって思って入れたような感じだったのかとかが…わからないので……今は見る影もありませんたぶん)

題材に高瀬川を選んだのは、私が京都の出身で、幼少の頃、京都の川の水は滋賀の琵琶湖から来て大阪湾に流れていくのだと聞かされて育ち、現在は大阪の淀川の傍に暮らしているからという理由です。
じゃあ別に鴨川や桂川でもよかったんじゃね? なんですけど、そこはなんか、人口の川から自然の海に流れる様子にロマンを感じたからです。

京都の竹田(地名)から出発するはずだった貴瀬としゅうですが、高瀬は川なので波に乗って流されて行けるはずだったし、舟だったしゅうにはその波に乗れなかった。だから貴瀬は流れを絶とうとし、結局川の中では失敗した。という裏話です…。
けど、波がなくなり…あるいは船底に水がなくなったり乗る人がいなくなったからといって必ず海に出れるわけでもないので舟は漕ぎ続けなきゃならなかったし、そうしたんだけども結果は出せなかった……という。

これを書き、掲載してから改めて脳内でおさらいをしていたら、才能があるって口車に乗せられただけで、死ぬまで筆を折らずに書き続けられた舟は可哀想な子で偉くて可愛いなって親ばかを発動しました。←
後半ぐらいの話数で、(7とか8話ぐらい)貴瀬から舟に「お前の作品はいつか認められる」とか「書きたいものと売れるものは違う」とか言った台詞があるんですけど、売れるもの・一般受けするものを書こうとして書けず、成功できずにくすぶっている人間に対してあまりにも無慈悲で残酷で酷いやつだなって思います(書いてて一番楽しかった部分で、自分にグサグサ刺さってめっちゃしんどくもありました)

ですがとにもかくにも、貴瀬は本当にただ舟の書くものが好きでただ一緒に居たかっただけ…で、一人でも航海へと進んで欲しかった…はずだったんですけど、そこをきちんと本文中に練りこんで書けてなかったことが最大の反省です!!!!

いつか何かなんらかの形で反省を活かせるように精進したいですね。
ともあれ、四日(正確には修正合わせて五日)間で約2万5000字は私の中で快挙なのでよく頑張りました!!!!
思い入れの深い作品になった分、反省にかける時間も長いのです……。

ここ近年自分の見た物、好きになったものからの影響をたくさん受けた話だったなぁと思います。

ラストの「いっしょに溺れてやる」も言わせた後になって、ある作品に影響を受けたなと実感したんですが、作者としては「今度は一緒に死んでやる」という意味です。と色んな所で強く言って行きたい。

愁と沢汽はどんなふうに関係性を築いていくのが、私は彼らじゃないから知らないって思ってるんですけど、考えると楽しいです。セルフ二次な気分(?)

野暮満載でお見苦しい限りでしたが最後まで読んでくれた方がいらっしゃったら本当にありがとうございます!!!!!!

もし、もしも「ここちゃんとわかったよ!!」という方がいたら教えてくれると、作者の私が泣いて喜び安心します。


ではまた来月のノルマでお会いしましょう←

よくわからないんですけど美味しいもの食べます!!