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コロナ禍に会社を辞める理由


人生の転機を迎えるので、今までの人生を簡単に振り返り、今後について考えをまとめたいと思います。

目次
・学生時代
・就職
・これから


学生時代

[小学時代]
6つ上の兄の影響もあり、小学1年生から地元の少年団でサッカーを始めました。

できないことへの好奇心が強く、日が暮れてもずっと一人でボールと遊んでいました。

小学3年生の時、同じ形の足なのになぜ左右同じく蹴れないのか?と不思議に感じ、全身鏡を見ながらキックフォームを作っていたことを鮮明に覚えています。。

今思えば遊びの中で身についたことが多かったと感じます。

雑木林の中をドリブル競争したり、
ジャングルジムの隙間にボールを蹴って通したり、
リフティングをしながらマンションの階段を降りたり、
※転げ落ちて頭を縫ってからは中止。笑
公園の砂場に穴を掘ってサッカーゴルフをしたり、
壁とワンツーをしながら学校まで行ったり、

そんな何かに強制されることもなく好奇心のままにサッカーを楽しんでいました。

当時はロベルトバッジョに憧れ、土曜日の練習前には必ずと言っていいほどロベルトバッジョの映像を見てから練習に行っていました。

これは賛否両論があるかと思いますが、ラウールゴンザレスが幼少期に行っていたことから、父が試合にボーナスをつけてくれるようになりました。

<得点金額>
オーバーヘッド ¥1,000
ボレーシュート ¥800
左足シュート ¥500
右足シュート ¥300
ハットトリック ¥500
※金額は定かではありませんがこんな感じでした。

そんなこともあり、新しいボールやスパイクを買うためにできないことにもチャレンジしていました。

[中学時代]
幸運にも小学4年生から通っていたスクール(三菱養和)のジュニアユースでプレーできることになり、サッカーの活動が本格的になりました。

Jリーグ下部組織との試合が中心だったので、小学時代とは違った楽しさを経験することができました。

ヴェルディとの練習試合では、中島翔哉に空中ダブルタッチで交わされた衝撃を鮮明に覚えています。。

素晴らしいコーチに恵まれ、厳しさの中に至高の楽しさを主体的に感じることができ、今でも当時指導してくれたコーチに感謝しています。

[高校時代]
サッカーに撃ち込みすぎたせいか若干燃え尽きてしまったこともあり、プレーヤーとしてではなく、高校時代は出身チームの少年団でコーチを始めました。

指導を通じて、楽しんでもらうことの楽しさを学びました。


[専門時代]
サッカーに関わりたい気持ちは変わらず、両親もサッカーをしている時の自分を応援してくれていたので、プレーもできて指導者ライセンスも取得できる専門学校へ進学することにしました。

横浜Fマリノスのコーチから指導を受けることができ、更にサッカーの魅力に惹かれて行きました。


就職

新卒でスポーツ企業に就職し、主にサッカーの指導を行ってきました。

最初は、単純に「サッカーを教えることが楽しい」という気持ちで仕事に取り組んでいました。

選手からは日々多くの学びがあり、保護者の方々はいつも暖かくサポートしていただき、楽しく過ごすことができました。

6年間の指導を通じてありがたいことに保護者や選手から感謝されることがあり、人に喜んでもらったり感謝されることの幸福感を味わいました。


そんな経験から次第に「サッカーを教えたい」から「少しでも感謝される活動をして行きたい」と思うようになりました。


これから

そんな背景があり、2021年3月末で会社を退職し、4月から個人事業主として新天地でサッカー指導をしながら他の活動も行っていくことにしました。

3年程前から動画制作を行っていたりもするので、サッカーに限らず好きなことを本気で楽しみながら幅広く他者貢献に繋がる活動をして行きたいと思っています。

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