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じくじく

窮屈なことばかりと思っていた。
電子レンジに金物は入れちゃダメ。
ご飯茶碗は食べ終わったら水に浸す。
靴は揃えておけ。
お風呂入った後、蓋をしておけ。
お風呂入った後は髪の毛を取り除いておけ。
鍋より外に火を出すな。
鍵は必ずかけろ。
電車の中でご飯を食べちゃダメ。
大人ってたいへんだな。
めちゃめちゃたくさんルールを守ってる。
自由が大事と言いながらめちゃくちゃルールを守ってる。
冠婚葬祭、スーツにお土産。
なんでそんなにするの?
こんな気持ちのこもってない形。
なんでこんな形ばかり残ってるの。
なんにも伝わってこないし、なんにも感じない。
そんなふうにずっと思ってた。
親切な人が「君のためだ」と僕のメリットを教えてくれても。
そんなふうに人からどう見られてるか気にすることの意味がわからなかった。
もっと言えば、そんなふうに人の目を気にするから自分が快適かどうかもわからなくなって病気になっちゃうんだよと思っていた。
今でも少しそう思う。
そんなだから、自分勝手だ、わがままだ、そんな見られ方はたくさんあったと思う。
ただ、ここのところ、少し見え方が変わってきた。
今まで、世の中で常識だと思われていたことを自分で確かめてないのに常識と受け止めることができなかった。
今でもそういう傾向はある。
でも、常識と思われていることの背景を考えるようになった。
お風呂入った後は次に入る人のことを考えて、髪を残さず掃除するとかって、やっときゃいいんでしょと形だけ残って、あなたの言うこと聞いてやっといたんだから次は私の言うこと聞いてよねと、契約関係みたいになってったら、なんだか人と人を分断することになりかねない。
だから、人に自分の不満を言うなんてなかなかできなかった。
自分の不満を言ってたら、気になることが多すぎて、キリがない。
人の態度、目線、声のトーン、言葉の選び方、感情の捉え方などなど、だいたい相手が意識せずやっていることが気になる。
だから、もし自分がそのことを口にしても相手は変化しない。そもそも相手は選んでないのだから変化するわけもない。
だから、僕が気になることは形になりにくい。
しかし、ベタでもダサくても花束のように形にできることもある。
ただ、形に思いを乗せられるかどうかが重要で、髪を残さず掃除するという形はどうでもいいことなのだ。
そのことで困っている人は多い。
クレームを言う人は「形を守れ」と言いながら、言われた通り、形を守られると形を守ってくれても思いが伝わってこないから混乱する。
「形に思いが乗ってない」という言葉に辿り着いてないから、形を守られるとさらに孤独になってしまうのだ。

形に思いを乗せること。

お風呂の後の髪掃除も冠婚葬祭も法律も文化も多くのことは人が作り出したラブレターなのではないだろうか。

こんな言葉の羅列でこんな形で自分の思いが伝わるだろうか、とじくじく思い悩む。
じくじく思うことが大切な気がしてきた。
じくじく。
そんな当たり前のことをやっと気づき始めたのである。

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