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<ブルックリン文化風俗アーカイブ記事>NYC公立校の運営予算を支える個人の篤志家たち

(注:あちこちに書き散らかしてきたものをnoteにまとめる作業をしています。記事内の出来事と投稿とのタイミングがズレているものも多々ありますのでご了承ください。)

今はもう大学生と高校生になった子どもたちがかつて通っていたブルックリンの公立小学校の思い出話。

2000年代前半のダウンタウンブルックリン〜ボーラムヒル地区はまだまだ昔からの地元民とジェントリファイヤー(何代も住み続けてきた地元民ではなく、就職や転勤など自らのチョイスで住処を選ぶ人々。サラリーマンや定収入のある人々がほとんどで、結果としてその地域の高級化を招く。近隣の地価が上がるので地域のホームオーナー達にとっては歓迎かもしれないが、それにつれて物価も確実に上がるので支出も増える)が混ざりあい、景気感も上向きだったので、フリーランサーの家族や、年齢も様々な「何をしているかわからないけど快適そう」な普段着のお父さんが学校行事を手伝ってくれたり、人種や宗教だけでなく、社会経済的な側面での多様性(会社CEOから低所得者用住宅の住人まで)に満ち満ちた素晴らしい環境だった。

当時何が衝撃だったかというと、やはり「学校で使う教材・資材は親の寄付」というところ。でも、クレヨンひとつ取り上げたところで、環境に配慮したエコでお高いものから、格安量販店の廉価品までピンきりなのだが、それは各家庭の予算に任されている。しかし、親が買ったものをそのまま自分の子どもが使うというわけではなく、デカい箱にガバっと放り込まれ、クラスのみんなで共有する。もちろん子どもの名前も書かない。各家庭の予算感があからさまにならないための配慮だ。

担任によっては使い勝手の良いブランド指定で購入リクエストをしてくる場合もあるが、「自分の子どもが使うかどうかもわからない、ちょっと割高なシロモノに自腹を切れるかどうか」でそれぞれの家庭の「事情」「主義(イズム)」が垣間見えていたように思う。

当時娘の担任になった女性教師が私と同い年で、面談の時など世代共通ネタでちょっと親しくなったこともあり、手伝いとしてクラス行事や遠足などに参加すると小声で「あの学芸員カワイイ〜」とか耳元で囁かれたり。自分の子どもの写真を撮るフリして隠し撮りしてあげたりしてたな。面白いオバサンだった。

両親ともNYCの公立校の元教師、という筋金入り。とにかく自分のクラスの生徒たちのために潤沢な予算を引っ張ってくるのだ!と資金集めに燃えていたので私もよく手伝っていた。その頃の思い出。


今年から娘の担任になった女性教師がなかなかのリソースフルな猛者。

「遠足代を納入しない・できない家庭」「その前に先生からのお便りを1度として読まない家庭」に再三アプローチする(=と同時進行で多少余裕のありそうな他の家庭に寄付を乞う)よりも、donorschoose.orgのような、一般公開されたサイトにて善意ある他人・個人篤志家からの寄付に望みをつなげるという。

NY公立あるあるだが、新学期が始まるたび、クラスで使う日用品(コピー用紙、えんぴつ、クレヨン、消しゴム、ペーパータオル、トイレットペーパーまで親持ちのことも)を各家庭で買い揃えることになる。当時でさえ子ども1人あたり100ドルくらいの出費になっていたから、子だくさんな家庭には特に頭の痛い話だっただろう。8月にもなれば学校から渡されたリストとにらめっこで特売コーナー(店側も夏休みの中盤にはこの需要に合わせた「バック・トゥ・スクール」セールを始める)をうろうろするお母さん達の姿に夏の終わりを感じていたものだ。季語か。

彼女のクラスだと、この経費も善意の寄付金によりカバーされていた。

それだけでも「すごい!」と思ってたら、今度は学年全体で社会学習の一環として習う移民の歴史について、どこだかの施設で計8回のワークショップに参加するため、数千ドルの資金集めを目標にしていたのだが、先日ある「匿名の篤志家」がほぼ全額ドーンと寄付!

さすがに日用品もタダになったし、私もいくらかの寄付はさせて頂いたのだが、いきなり見ず知らずの学校に何千ドル近くバーン、と匿名で払う太っ腹も、意外と近くにいるんだねぇ、と担任(うれし涙)と話してたら、彼女が「ウーピー・ゴールドバーグかも」とポロリ。

ウーピー・ゴールドバーグは前述のサイトで、匿名の寄付をし続けていることで知られているらしい。かっこいいなあ。それがたとえ税対策だとしても。

私もいつか左うちわでおカネを湯水のごとく使えるようになったら、確実に次世代につながる使い方をしたいな。(アゲイン、それがたとえ税対策だとしても!)

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