ショートショート35 『私の名前は笹原香織です』

『私の名前は笹原香織です』

来た来た。落ち着け。自然に自然に。

私は端からバレないように静かに深呼吸を3回繰り返し、今日も放課後の靴箱に向かう。

北校舎の3階にある自分の教室を出て、1階に向かう途中の階段の踊り場では、立ち止まってスマホを見てても特に気にかけられない。
私はそうして見るでもないスマホのホーム画面を押したりスライドさせたりして空虚な間を潰し、階段を降りた先の靴箱へと意識を向ける。

ほどなくして、南校舎側から靴箱にやってきたアイツをとらえた。

アイツ。荻野瞬(おぎのしゅん)。
高校1年と2年はクラスメートだったが、3年で別々のクラスになって以来、こうして靴箱で偶然すれ違い、挨拶や軽い世間話を交わすくらいしか、荻野と接する機会はなかった。

まあ今日はこうして、偶然を必然に変えてる最中なんだけど。

私はこれを“階段踊り場待ち伏せ作戦”(そのまんま)と呼んでいる。

私の名前は笹原香織(ささはらかおり)。

荻野に恋をしている。

今から私は荻野に告白する。

荻野に、嫌われるために。



荻野はどちらかと言えばクラスでも目立つタイプではなかった。
私は、というと自分で言うのも何だが割とクラスでも明るいほうのグループに属している。
どうしてこんなに好きになったんだろうと改めて自分に問いかける。


高校の1年生の時に荻野とクラスメートだった頃は彼に興味すらなかった。とまで言ってのけると、今の私に盛大にビンタされそうだが本当に特に意識もしていないただの、いちクラスメートだった。


あれは確か2年生の時、お盆も過ぎた夏休み半ば。近所のコンビニにアイスを買いに行く途中の公園で荻野を発見した。
おそらく歳の離れた小さな弟を連れた荻野は、公園で楽しげに声をあげてボール遊びをしていた。


普段、教室でもあそこまで大きな荻野の声を聞いたことのなかった私は、


へー意外。弟思いのいいお兄ちゃんなんだー


程度にしか思わず、さあアイスを買いに行こうとつま先を前に差し出したその時、私の足元にボールが転がってきてしまう。


ほとんど話した事のないクラスメートと夏休みに会うのも何だか気まずいので、一瞬そのまま気づかぬ振りをしてしまおうかとも思った。
ただ、純粋無垢なかわいらしい子供がトコトコと私の足元のボールを目標に駆け出してくるものだから、やむなく拾ってあげてなるべく自然に挨拶を交わす。


「はい、僕。ボールだよ。ってあれ、荻野じゃん。偶然だねー」


「……?あっ、え。さ、笹原、さん…。 うん、偶然」


私を、その瞬間に認識したであろう荻野は明らかにとまどっていた。 さっきまでの明朗で活発なお兄ちゃんはどこかに消えていた。

それが少し可笑しくなって私は荻野に訊ねる。

「弟くん?かわいいねえ。何歳なの?」

「あ、ええと。4歳。なんだけど、弟じゃないんだよ」

「え?そうなの?」

聞けば、その子供は荻野のお姉さんの子供らしく、お姉さんが離婚してシングルマザーとなって実家に帰ってきてしまい、昼間働いている間、荻野ができるだけ遊んであげてるとのこと。夏休みはほぼ毎日だそうだ。


「しゅんーーー!だれこのひとーーー??」

「おい、まずは、こんにちは、だろ。同じクラスの笹原香織さんだ」

「かおりー!こんちわー!」

「おいおい。ははは。ごめんね笹原さん」


私もつられて笑った。

突然お父さんがいなくなったこの子からすれば、荻野は本当のお兄ちゃんのような存在なんだなと瞬時に伝わった。
高校の夏休みなんていう、自分の青春の時間を削ってあんなに懸命に声をあげて遊んであげていた荻野。ただただ夏休みを自分のためだけにダラダラ過ごしている私。比べることではないが、なんだか恥ずかしくなった。

荻野は優しいんだな。できる限りこの子が寂しくないように。
まともに話したことも今までなかったから、知らないことだらけだ。

そこから少し会話を続け、じゃあまた学校でね、と別れた帰り道。

さっきまでの会話を無意識に反芻しているとあることに気づく。

そういえば知ってくれてたんだな。私の下の名前…

急に荻野のことが気になってしまっている自分がいた。
そこで初めて瞬という荻野の下の名前を名簿で確認する。
こんなに、静かに、胸が鳴るのは久しぶりだ。
荻野が気になる。
動揺している。
私はアイスのことなど忘れ家に帰り、ベッドで足をバタバタと暴れさせていた。


あーーーーー


好きな人できた。



夏休みが明けるのを、これほど待ちわびたのは初めてだ。


私はあれ以来、荻野と学校でも話すようになった。とは言っても、挨拶に草が生えた程度だが、それでも幸せだった。荻野と朝に靴箱で偶然会えた日は、1日いい気分だった。

思いなんて告げれないまま3年生となり、荻野とクラスが離ればなれになった時は、家で泣いてしまった。

それでも階段踊り場待ち伏せ作戦を覚えてからは、時折話せる機会もあり、そのたび胸が熱くなった。


そして私は覚悟を決め、夏休みに入る前の7月のある日、もう慣れたもんだの階段踊り場待ち伏せ作戦ののち、荻野に告白した。


返事は、オーケーだった!

荻野は、私が好きになるより、ずっと前から私が好きだったそうだ!

なんだよ。じゃあそっちから告白してくれよ。

草食系め!あはは!

嬉しい!

あー!

嬉しい!!!

早速一緒に帰り、お互い照れながら初々しい距離感で歩いた帰り道。
荻野が突然私を押し退けた。
荻野は暴走してきた車に跳ねられた。

なに?
なにが起こったの?
意味が分からない。
さっきまで隣にいたよね?
なぜ横たわっているの?
私を助けたの?
荻野は死んだ。
目の前が真っ暗になっていく。
神様どうか。嘘と言ってください。どうか。





え?

私は気がつくと階段の踊り場で靴箱を睨みつけていた。
どういうことだ。
荻野は?荻野はどうなったの?車は?
なに?

ほどなくして荻野が靴箱に現れる。

荻野!
良かった!

何がなんだか分からないが、時間が戻っている。奇跡なんてものは信じてなかったが、これは紛れもなく、奇跡だ。

私は駆け寄り、再び告白した。

一緒に帰った。

荻野は車に跳ねられ死んだ。





もう、何十回目だろう。いつまで繰り返しているのか。何なのこれは。
一体全体、神様は、奇跡は何を望んでるの?

私は様々なパターンを試した。

荻野に告白して付き合うと荻野は私をかばって死ぬ。

荻野に挨拶だけ交わすと、少し一緒に帰ろうとなり死ぬ。

荻野に話しかけないでいると、荻野が私に気付き話しかけられ帰り道で死ぬ。

なぜだかどう転んでも、荻野と接触して、一緒に帰るのは避けられなかった。

なぜ、こんな残酷なループが続くのかは分からないが、荻野を死なせない未来を作らなければ。
時間軸の神様にまだ試していないことがあるとするなら、残されたのはただ一つ。

荻野に嫌われる、という行為だけだった。

これなら一緒には帰らない。

これでダメならもう、抜け出し方が分からない。


* * *



私は靴箱で、荻野にできるだけいつも通り話しかける。

「あ、荻野」

「ああ、笹原さん、今帰り?」

「荻野さ、ちょっと話あるんだけど」

「え、どしたの」

「ここじゃなんだから」

私は、そう言うと裏門に荻野を連れていき、努めて冷静に話す。

「あのさ、私さ、荻野のこと気になってたんだけどさ」

「え?あ…いや」

恥ずかしそうにする荻野。

これじゃあダメなんだ。

「でもさ、なんていうか勘違いだったわ。うん。いや、若いって怖いわ~。荻野暗いもんねやっぱり。友達もほとんどいないでしょ?あのなんだっけ?お姉さんの子供だけなんじゃない?荻野の友達ってさ。ウケるね。あはは。だからさ、今後、話しかけないでもらえる?クラスも違うんだしさ、それだけ。ごめんね今まで勘違いさせてたかも。じゃあね 」


私は一息でそう言い終わると、すぐさま踵を返し走った。

荻野の顔は見れなかった。

走りながら私は、涙が止まらなかった。
なんて。
なんてひどい事を私は。
大好きな人に、なんてひどい事を。
誰よりも優しい荻野に。
思ってもない事を。
胸が痛い。
荻野ごめんね。
ごめんね荻野。
大好きだよ。
大好きなんだよほんとは。

私はそのまま大通りを抜け、荻野がいつも車に跳ねられる場所にたどり着いた。
良かった。これで運命は変わる。荻野の死なない運命の歯車が動き出したはずだ。


しばらく走り疲れて、歩道を歩いていると、何者かに後ろから物凄い力で引っ張られた。
その瞬間、私がいた歩道に車が突っ込んできた。
私を引っ張った相手は振り子の原理のように体を投げ出され、私の身代わりとなった。

頭から血を流しピクリとも動かない。

なんでよ。
なんでなのよ荻野。
なんで!追いかけてきてんのよ!
さっきあんなにひどい事を言ったじゃん!


そして

時間は戻らなかった。






荻野は一命を取り留めた。
望んだ未来にはならなかったが、最悪ではない。

高校最後の夏休みは、毎日のように荻野のお見舞いに足を運ぶ。
親御さんにも私のせいですと何度も頭を下げた。気にしないでと言ってくれたが、悲しかった。あの子供にもきっと寂しい思いをさせている。

荻野の身体はリハビリをしていけば、激しい運動はできないが日常生活を送れるくらいには治るそうだった。

だが、荻野は記憶が無くなっていた。

お医者さんは、事故で頭を打ったショックで一時的なものだと言うが、いつ戻るかは全く分からないとのこと。

私達は、毎日話しをした。
何でもないことを一から毎日。
荻野は私のことは覚えていなかったが、生きてるだけで良かった。

「私は笹原っていいます。荻野とは1年と2年と、同じクラスだったんだよ。それで私を助けてくれたんだよ。ほんとありがとう」


「そか。ごめんね。笹原さん。何も思い出だせなくて」


「ううん。いいんだよ」


入院中、荻野の意識が戻ってからは、こんな風に自己紹介のような距離感で話す毎日。
それで良かった。


だが、夏休みもまた半ばを迎え、ようやく再び打ち解けてきたある日。


「荻野~。元気してた?アイス食べれる?買ってきてあげたよ」

「ああ、ありがとう。あのさ」

「ん?何?」

「そういえば笹原さんって、下の名前は何ていうの?」


そう聞かれた瞬間、あの日の事を思い出した。
荻野を好きになったあの日の事を。
そうか。そうだよね。
知らないよね。私の下の名前なんて。
悲しくて涙が溢れそうになったが、ぐっと堪えた。がんばったぞ私。平静を装い答える。


「ああ、そういえば言ってなかったね。荻野は瞬だよね。私は、私の名前は香織。笹原香織です」


「かおり………」


「ん?」

「かおり……かおり…うう…ううぅ」


私の名前を声無き声で呟いた後、突然の頭痛に襲われた荻野。
ナースコールを押さなきゃと手を延ばした刹那、荻野は再び呟く。


「思い出した」

まさかの荻野の一言に当然私は訊ねる。


「思いだしたの?!ほんとに?」


「ああ、笹原さんが生きてて良かった。ほんとに良かった!」


うん。確かに荻野に助けられたんだものね。


「うん、ありが」
お礼を言おうとする私の言葉をさえぎり荻野は続けた。
「違うんだ。笹原さん。僕ね、ずっと戻ってたんだ」


え。今なんて。


「ずっと繰り返してた。君が車に跳ねられそうになったところを僕が助ける。その度に時間は戻った。僕が死んでしまってはいけないようだった。でも何もしないと君が車に跳ねられて死ぬ。僕は歯がゆくて歯がゆくて。でもどうしようもできなくて」

荻野も?荻野も繰り返してた…?

「そんな時、笹原さんが僕に嫌われようとしてくれたよね。恐らくそれで時間軸にひずみが起こって、僕は結局車に跳ねられはしたけど、二人とも生き残る道が現れたんだと思う。君もきっと、何度も僕を救おうとしてくれてたはずだ。ありがとう。笹原さん」


私は荻野の話をちゃんと理解することはできなかった。

でも確かに言えることは、お互いがお互いを救おうとしてたってこと。

それだけは分かった。

ああ。そうだったんだ。荻野も私をずっと。


「笹原香織さん」

「え。なに急にフルネームで。あはは」

「好きです。付き合ってください」









~文章 完 文章~

書籍『電話をしてるふり』 書店やネットでBKB(バリ、買ってくれたら、ボロ泣き) 全50話のショート小説集です BKBショートショート小説集 電話をしてるふり (文春文庫) ↓↓↓ https://amzn.asia/d/fTqEXAV