見出し画像

【北欧医療レポ】たった1日で自立支援から要介護になってしまった父

読者のみなさん、こんにちは!

前回「医療現場での人手不足深刻化」というタイトルでノルウェー最大の理学療法士専門誌「Tidsskriftet Fysioterapeuten」に掲載された記事を紹介しました。理学療法士でありジャーナリスト、そして介護を必要とする父親の娘でもあるシャーロット・ナゲルさんが自宅での終末ケアを必要とする父親の家族として、そして理学療法士として感じる人材不足の深刻化を訴えています。

前回の記事をまだ読んでいない方がいらっしゃったら、こちらからまずは読んでみてください!

リクライニングソファーの上で生活している私のパパ~「医療現場での人手不足深刻化~

今回は、その記事を書いたジャーナリスト兼理学療法士のシャーロットさんが前回の記事を投稿した【その後】の記事を紹介します。


たった1日で、何でも自分で出来る身から介護を受ける身へ~なぜ私たちは人々の自立して動く機会を奪うのか?~

もちろん、すべての人がそうというわけではありません。しかし、改善の余地が大いにあるということ私のメッセージを、多くの人は同意すると思います。今こそ私たち理学療法士がリーダーシップを発揮するべきです。

2024年3月19日(火)
執筆者:シャーロット・ナゲル(理学療法士、ジャーナリスト、娘)
原文はこちらから


「必要なだけ時間をかけてくださいね、そうすればきっと上手くいきますよ」と、父が大好きな看護師は言いました。

その言葉は、まるで鳥のさえずりのように心地よく響きました。彼女は、ベッドから立ち上がり、寝室からバスルームへの移動について話していました。バスルームには、グリポ(人類にとっての贈り物です!)とハンドルが設置されていました。


グリポに関しては以下の記事を参照してください♪
【北欧発】移乗福祉用具紹介その②~立位補助器 Gripo(グリポ)~


父は横向きになり、足をベッドの端に移動し、ゆっくりと上体を起こしました。最後のほうは看護師が肩を支えました。彼はベッドの端でバランスを取り、グリポと自分の脚力を使って立ち上がりました。

立ち上がったあと、立位が安定するまで、看護師はそれをただ見守りました。その後、父は誰からの助けも受けず、ゆっくりと自分のペースで手すりを頼りにバスルームまで歩きました。

その日は、父にとって良いスタートでした。自力で起き上がり、まるでターザンのように胸を叩いていました。


自力での移動

しかし、全国の医療者を代表するはずであるこの看護師は例外でした。私は今、癌を患っていた父の娘として、介護施設で働いていた医療者として、そして理学療法士だった者として発言をしています。

残念ながらこの記事は、執筆中に【現在形】から【過去形】に変える必要がありました。父は3ヶ月前に安らかに自宅で息を引き取りました。しかし、父は教師でありジャーナリストでもあったので、この記事が誰かのインスピレーションになることを望んでいたと思います。そうなることを願っています。

私は現在、ジャーナリストとして活動しているため、専門的な知識は正しくアップデートされてはいません。しかし、癌だった父の娘として、医療従事者が利用者の自力移動の機会を奪っているように感じます。むしろ引きずり回しているように感じます。

あなたが私の以前書いた記事を読んだことがあるなら、また同じことを言っているのか…と思われるかもしれません。それももっともです。今回はさらに移乗に関する知識の不足についても触れています。ですが、どうかお付き合いください。目的が手段を正当化することもありますので、この話を続けさせてください。


ハンズオン、それともハンズオフ?

父の病状が進行するにつれて、彼は移乗にますます助けが必要になりました。しかし、病気の進行が「ハンズオン」を必要とするとき、いつ手を離すべきかを判断することはなかなか難しいことです。

同じ日の午後、父が昼寝から起きると、新しい若い看護師二人が来ました。父は背中を向けてうとうとしていて、耳が遠いため反応する暇もなく、一人が足をつかみ、もう一人が腕を引っ張りました。

「起き上がるのが大変になってきていますね」と一人が言い、もう一人も頷きました。

その朝を機に私の父は、自分の力で移動できる利用者から、移乗が難しい患者へと変わってしまいました。前日の看護師さんが来た時、一人で歩くことが出来た時と同じ身体機能で何も変わっていないのに。私の父はその日を境に、医療従事者の腰を痛める可能性がる患者であり電動ベッドが必要な患者という認識へと変わってしまいました。

その朝の出来事を好意的に解釈しようとするのなら、きっとその2人の看護師は父を助けようとしていたのだと思います。しかし、実際には父を助けることにはなりませんでした。その理由ならいくらでも挙げられます。それは私が理学療法士だからではなく、私自身も体を持っているからこそ理解できるのです。

彼らは父をまるで肉の塊のように扱いました。そこで私は言いました。

「私のパパは自分でベッドの端に座ることができるんです。ただ少し時間がかかるだけ。」

分別のある娘で理学療法士として意見を述べるのは疲れます。でも、黙っているよりはマシです。どんな制限があったとしても、それを解決できる可能性はあるのですから。


知識の不足?

以前の記事で、なぜ歩行訓練が訪問ケアの自然な一部でないのかについて問いかけました。【動く】ということついては、上からの承認や許可がなくても実施できるはずです。これは学校での教育、特に仕事場でも常に議題に上げるべきです。そして、理学療法士はその中で欠かせない存在であるべきだと思います。

私も学生時代に介護施設でアルバイトをしていましたが、移乗についての知識は全くありませんでした。私たちは患者を引っ張り回していました。今思い出すと目をつぶりたくなります。

新卒の理学療法士として最初に働いたのは夢だった老人ホームでした。そこにはオフィスとトレーニングルームがありました。ある日、3階の病棟リーダーから電話がありました。患者の移乗介助にスタッフの一人が椎間板ヘルニアを起こしたとのことでした。病棟リーダーは、他のスタッフに効果的な移乗方法を教えてほしいと頼んできました。

病棟リーダーの考えは素晴らしかったですが、彼女は間違った人に頼んでしまったようですー私は全く知識がありませんでしたーでもそれを認める勇気もありませんでした。だって私は理学療法士だから。

結局その件がどうなったかは今となっては覚えていません。

専門学校では移乗に関する十分な訓練を受けませんでした。多くの他のことが重要で興味深いとされていました。実習でも十分に訓練できませんでしたし、経験も足りませんでした。

これは看護専門学校教育にも当てはまると思います。私の経験では、これは自宅介護や病院でも少なくとも同じ状況です。


重要な役割

医療従事者から、最近の教育では実践的な訓練が減り、職業に関する哲学的な議論に時間を割くようになっていると聞いたことがあります。この点については賛否両論あるかもしれませんが、それ自体が議論の対象となるでしょう。議論の扉は開かれています!

とにかく、移動に関する知識は多職種にわたる課題であり、忙しい日常の中で忘れられたり軽視されたりしています。しかし、この知識があれば時間と体力を節約でき、何よりも利用者の達成感を高め、不快感を軽減することができます。

もちろん、すべての人が同じではありませんが、多くの人が改善の余地があると感じていると思います。そして、ここで私たち理学療法士がリーダーシップを発揮すべきです。

朝、父のために訪問介護に来てくれた看護師が私に笑顔で言ったように:「私はただ、理学療法士の方に教えてもらったように、少しあなたのお父さんの動きをサポートするだけで、彼は自分でうまくできるんです!」


#ノルウェー #リハビリ #理学療法 #在宅ケア #高齢者ケア #健康福祉 #介護問題 #社会福祉 #医療人材不足 #家族の介護


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?