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【日記】緩急/2023年1月4日(水)

 タイトル部の「2023」を、必ず「2022」と打って掲載してしまっていたのだが、4日目にしてようやく1発で「2023」と打てた。これは正月ボケとは逆の、“通常運転”の証だろう。

 今日から“仕事始め”という方が多いようだ。表へ出ても、何となくわさわさとした雰囲気が伝わってくる。その感覚、いつまで遡らなければ思い出せないかなぁ。サガン鳥栖? いや工場勤務? いずれにしても、20年近く味わっていない。
 例年は編集作業で正月どころではなかったが、今年はまた違った状況によって正月らしいことをできなかった。それらしいことといえば、箱根駅伝等の行事を観た程度。数の子をつまみながら熱燗グイっと……は、やっぱり叶わなかった。餅すら食べていない。
「自分が作る程度の雑煮なら、正月にこだわらず、いつでも作れるし」と割り切り、来年こそは!とまたいつもの決意を胸に抱いた次第なのである。

 先日、某ジムでお借りしてきた1冊を早く読みたいがために、読みかけの御子柴礼司シリーズを猛スピードで読み終えた。文庫最新刊の第4作『悪徳の輪舞曲(ロンド)』(中山七里、講談社文庫)読了。決して慌てて速読したわけではなく、ぐいぐいとのめり込ませる筆の力があるので。
 有罪→敗訴確実の案件を、どうやって引っ繰り返していくのか。針の穴ほどのきっかけを探り当て、それを少しずつこじ開けていくこの粘りと執念。フィクションの世界の話とはいえ、自分の生き方にも大いなる刺激を与えてくれた。
 第5作『復讐の協奏曲(コンチェルト)』は、2月に文庫が発売されるそうなので、それをキリンになって待つ。

 NHK『いちげき』を視聴。宮藤官九郎脚本、出ている俳優陣も好きな役者ばかりなのでとても楽しみにしていたのだが、観終わったときの手応えはとても薄かった。
 三谷幸喜と並び、クドカンは大好きな脚本家、映像作家なので、いわゆる「時代劇好き」目線(セリフが軽い! とか、おちゃらけ過ぎ!などの怒り)では観ていない。時代劇フリークだけど、そういう軽妙さを求めているくらいだ。何かと酷評された大河ドラマ『いだてん』だって大好きな作品のひとつである。
『いちげき』の原作(小説&コミックス)は読んでいないが、ストーリーはとても興味深いもので、そこに“非”はない。じゃあ、この手応えのなさは何なのか。呆然としながら、ちょっと考え込んでしまった。
 特徴のひとつである“テンポの速さ”が、尺の短さ(90分)を補うためにしか使われていないように思えた。クドカンも三谷さん同様、“緩急”が最大の武器だと思うのだが、“緩”がない。いや、ちょっとしたセリフやワンシーンは緩かったりするのだが、展開がまったく落ち着かないから、その“緩さ”がかき消されてしまう。反面、一人ひとり個性ある登場人物で魅力的なはずにもかかわらず、なにぶん90分しかないものだから、キャラ紹介の上っ面だけで“拙速”に過ぎていき、淡白な印象しか残らない。かと思えば、ドラマの重大局面である“重たい場面”すらも、その淡白さに引きずられてしまい、狙いとは逆の“軽さ”しか与えられていない(少なくとも私には)のだ。

 年齢問わず、「耐えられない人」が増えている時代だと聞く。要は、じっくりと見る、読む等々ができない人が多いのだという。ドラマや映画を「倍速」で観たり、長文を読む耐性がなかったり、ボクシングでいえば「12ラウンドは長くて見てらんない」とボヤいたりといった具合に。柔らかくひと言で表せば「せっかち」な人。きっと、そういう人たちのウケはとても良いのだろう。
 でも……と私は思う。クドカンは誰がどう見たって名手である。だから、12ラウンドで戦うことも、8、6、4、何なら3ラウンドで戦うことだってできる。けれど、「12ラウンドで戦う“材料”を2ラウンドで披露して!」と言われたら、そりゃいくらクドカンでも無茶な話。演出家はじめ、現場スタッフもまじえ、「どこを入れるか削るか」相当苦心したはずだ。脚本もかなりいじったと思う。そうしてきっちりと収めてみせたのはさすがですが。
 神田伯山師匠が“導き役”を熱演していたので師匠を例に挙げれば、本来は1時間近い演目を、テレビ用にわずか10分たらずのハイライトにしてしまうことがよくある。それと同じような印象だ。もちろん師匠にも様々な想いが駆け巡っているはずである。でも、そこは割り切ってやる。きっとクドカンも同じ想いを抱いているはずである。

『いちげき』を観ておもしろかったと思う人たちには、ぜひ時代劇をじっくりと観ていただきたい。とりあえずのおすすめは『御家人斬九郎』だな。重厚さと軽薄さが絶妙だから。あれを観たら、渡辺謙の凄さに卒倒するはずだ。

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