Day60→「非モテ」とは。
古風な気質。
世間は連休だそうだ。「黄金」の二番目だからだか何だか知らないが、「銀」と言うらしい。残念ながら弊社はお客さん商売なので、逆に書き入れ時である。
同様の代休は用意されていないが、今時珍しく閑散期には社員旅行があるらしい。しかし、こういうご時世なので実施されないようだ。社員旅行の類があったらあったで、いろいろと気を遣いそうで大変である。
古風な気質の会社だと、例外なく新人が無茶をやらされて役員や先輩のご機嫌を取る、なんてことがあるが、まだ若手だった頃、私もやらされた。まだセクハラも冗談も一緒くたの時代である。もちろん今の会社ではない。
今でこそ、ひとボケかますくらいの事はするが、大概なくらいシャイだった(今も否定はしない)私は、嫌で嫌で仕方が無かった。今で言うところの、ホモソーシャルというやつだったのだろう。
幸い?先輩の奢りだが、夜の店(キャバクラ)に行かされたこともあった。男女問わず、関係性の薄い方と楽しげに話すことは苦手中の苦手であり、いわゆる「キャバ嬢」とのやりとりも、楽しいとは思わなかった。
もちろん、行ったのはそれっきり。どれだけ生活に余裕があったとしても自ら行こうとも思わないし、こういうご時世ということもあり、悪い先輩に連れていってもらうこともない。
非モテオッサンはよく利用する、などと言われている?フーゾクの類も、私は利用した事は無い。関係性の無い中で急に親密な関係になるのは絶対無理。例え気軽に利用できる環境があろうとも、それはあり得ない。
暴力と隣り合わせだったり、搾取構造という観点からすれば、性産業が妥当なものかどうかは議論の余地がある。そういうモノが良いとか悪いとかはさておき、私は性に合わないので避けてきた次第。
「『非モテ』からはじめる男性学」。
前振りが長くなったが本題。表にしないことを吐きだしてしまった。気を悪くされた方がいたら申し訳ない。
さて、「Day58→自己否定の悪循環。」でも軽く触れた通り、西井開さん著「『非モテ』からはじめる男性学」(集英社新書、2021年7月発売)を読んでみた。
一般的なジェンダー研究の類では無く、当事者による「非モテ」の言語化を試みている点が画期的である。西井さんは研究者らしく、論点を明らかにした上で問題点を述べているので分かりやすい。
論文がベースだからか、若干小難しい表現が含まれているが、それでも頷くことばかり。新書だから分量が多くないとはいえ、割と読みやすい本だったと思う。
意外なのが、「非モテ」問題は、周囲からの疎外感だったり、集団リーダーからのからかい・いじりといった、いじめ問題と根っこが同じなところ。排除の論理が働いているのかもしれない。
人付き合いが上手くないが故に、集団の中で排除されないよう自虐ノリやいじられ役を求められたり、激しい思い込みが元で、拙速なアプローチをしてしまい女性に気持ち悪がられる、ということも珍しくないのだろう。
未だに恋仲になるための距離の詰め方が分からないし、「気のせい」だと思っているから、相手の薄い好意には気づかない。逃してきたケースも多かろうが、愚鈍だから実際のところは不明。
また、
マイノリティ性を持つ男性ほど周縁化され攻撃の対象になる。
という部分に激しく同感。他と微妙に違う事でいじめの対象になりがちだし、場の空気を乱すことによる緩い排除は私もよくやられる事なのだが、そっとその場から離れるのが得策だと考える。私も辛いだけだし。
ちょっと前にも書いたが、排除されても「ご主人様」についていくほど暇じゃないし、私が必要とされないならその場に用はない。利用されるだけの「やりがい搾取」も御免である。
マイノリティに冷たいのは男女関係無く同じだと思うが、オトコ社会の生きづらさを理解する一冊なのではなかろうか。
アレの話。
というワケで何も無し。いろいろあったのでしゃーないが、ひと回り若かったらもう少し違ったのだろう。選り好みしすぎだろってくらい、絶望的に何も無い。多少のことは大目に見て欲しい。その辺りはお互い様でしょうよ。
私の場合は、この本に書いてあるように「一発逆転」とか「価値の証明」、ましてや「家政婦」代わりといった考え方はしないのだが、パートナーがいたらもう少し楽しかろう、という話。平たく言うと単に寂しいだけ。
手の施しようがないというくらいに、ささやかな願いが遙か宇宙の彼方のように遠い。その入口すら怪しいのである。もう無理なのだろうか。あー悔しい。
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