現代日本の若い女性の「体を売るのは最終手段」という幻想はどこから生まれて来たのか?(シン・社会学)
ご覧いただき、ありがとうございます。
いきなり余談ですが、以前、「前世がリーディングできる」という方にリーディングしていただいたときに出てきたひとつに、明治時代の女衒の手下、というのがありました。
女衒、というのは女性を遊廓など、売春労働に斡旋することを業とした仲介業者で、どうも関西方面に居たらしいです。基本的に女性たちは農家から口減らしのために売られた人達。この人達をなんと、アジアに売るという仕事をしていて、それが苦しかったそうです。
その後、その仕事から足を洗い、ある僧侶でもある大学の先生について勉強し、勉強熱心だったのでキャリアチェンジに成功するのですが、どうしても売られた女性たちのことが気になって、アジアをまわって調べたいと思い、でも、どうすればいいのかわからない、となって、その大学の先生の紹介で渋沢栄一に会い、共感を得るも、その願いを達成できずに病気で死んでしまった、というのでした。
長いし、なんでそんなリアルなん、って思ったのを覚えています。
もうひとつ、今度はインドの女性で、女性たちを教育する機関を作り、貧困から解放する運動をしていた時期もあったそうで、こちらは普通に亡くなられた(自分の前世の話で亡くなられたも変ですが)そうです。
そんなわけがあるのかないのか、女性の貧困問題や、社会の中での振る舞いについては関心があって、いろいろ賛否両輪ありながらも、そのあたりをフィールドワークされていた、宮台真司さんってすごいなーと思ってました。その宮台さんも既に定年退職され、こういう分野の研究者ってもういらしゃらないのかなぁ、と少し残念でもあり、不安にも思っているところです。
まあ、いろいろお騒がせな宮台先生、最後の最後までやらかしましたが、奥様(ちょっと知り合い)を悲しませるようなことはしないでいただきたいなーと個人的には思います。
前段が長くなりましたが、今回、気になったのはこちらの話題。
これ、ちょっとX(Twitter)界隈でなにやら揉めてるなーとしか思っていなかったのですが、何やら現代社会の闇的な部分が浮かびあがってきそうだな、と思って、ちょっと調べてみました。
この問題自体は、ブランド側の意思決定プロセスが説明できない時点で、何やらそちら側の組織の問題であるように思うのですが、CA4LAは会社ごと2018年に買収されているようで、こちらはこちらで、ファッションブランドの生き残りの話にも発展しそうですが、今回はそちら方向には深掘りしません。
ちなみに今回のコラボは2年前から続いているらしく、本当に現代の炎上っていつどういうきっかけで起こるのかがわからない、という印象ですね。ただ、この2年の間に社会の側に何らかの変化があったのではないかと思います。
どのような批判があるのかな、といろいろ検索していたら、ある方のnoteに行き当たりました。リンクをすると批判しているように見えるかもしれないので今回は敢えてリンクしないで、その記述から、この問題に隠れている日本社会の闇の部分を探っていきたいと思います。(もし、本人がいやいや、炎上拡散するために書いたんだからリンクして欲しい、ということであれば、後からでもリンクします。)
その記事ですが、X(旧Twitter)でも900以上のいいね、がつき、スキ、も800近くになりますので、まぁまぁ、共感されている内容である、という認識です。(ちょっとバズっていてうらやましい。)
さて、筆者の方のお立場と、その方の主張をまとめると、こうなります。
なんでしょう。何か悲痛な叫び声のようなものを感じます。この記事のコメントにも、こういうコメントがあって、ここに違和感を感じました。
さて、みなさんは、この記事の筆者さんと、このコメントをされた方の意識の違い、お気づきになられますでしょうか?
で、続いてどんな批判があるのかな、ということで調べてみたところ、もちろん、ちゃんと説明しないメーカーに対する批判もあるのですが、その中に、特に女性の声で一定数、この「体を売るという最終手段」という言葉があって、そこに違和感を感じたのです。
あれ?いつから、社会では、女性が体を売るのが最終手段になったんだっけ?
話を遡ると、最初に話した女衒の話のように、あるいは国際的には人身売買の問題もそうですが、女性が売られるのは、本人の意志ではないことの方が普通だと思いますし、どうなんでしょう、国際的にはまだまだそういう認識なのではないでしょうか?
その場合、売られたお金は本人に入ることはありません。売った家族、あるいは誘拐犯に払われるわけです。しかも、それは永久就職。辞めたいから辞めます、という世界ではないわけです。
借金をしてその返済のために風俗に、という話も聞きますが、これはまあ、可能性としては借金を返せば辞められるわけで、それと比較してもディープな世界が当たり前。
もちろん、この「体を売るのは最終手段」の「最終手段」をどこまでのレベルで考えるか、ということなのですが、一旦、売られてしまってからの寿命はおそらく短いので、そういうイメージを持っているのでは無さそうだな、とは思います。
ちなみに、理性を持って考えると、AV女優さんというお仕事は風俗業ではなく、あくまでも映像作品としての撮影をしている方なので、別に夜のお仕事ではないですが、どうも批判している方々からは、裸になる=体を売る=最終手段、というイメージがあるようです。
問題なのは、いつから、最悪、裸になれば生きていける、という価値観が生まれて来たのか、ということです。しかも、この価値観は、女性が女性の魅力をアピールして生きる生存戦略と混同されている。
ということで、まず、この問題に対する女優側への批判は、この2つの記事で紹介しました、女性のマウンティングの三すくみの構造の影響を受けていそうだな、ということがわかります。
図も再掲載しますが、女性が女性を批判する文章を読むときには、この図をイメージすると、ああ、この立場からこの立場を批判しているんだな、というのがよくわかります。
さて、その上で、この「体を売るのは最終手段」の話は、下記の記事で紹介した3つの資本の話と考えると、解釈しやすくなります。(元本にしています『幸福の資本論』へのリンクも下記記事に貼ってあります。)
図も貼っておきます。
最初に紹介した記事の中で、筆者が両親との仲の良さ、をアピールしていたのは、社会資本に価値を持っていることを示しています。そして、仕事ができる自分に価値を持っていますから、人的資本による自己実現を目指していることがわかります。
普通に考えればわかるかと思いますが、例えば風俗で働くとなったとき、社会資本が強いコミュニティではやりにくいです。すぐに噂になりますし、何より親が止めるでしょう。ですので、その選択は様々なものを捨てることになるのでできない。
自分が選択したいかどうかはともかく、選択できない選択肢を選んでいる時点で、それはマウンティングの対象になります。
AVも法律が整備され、むりやり契約で縛るとか、いやいや出演させるとか、本人の同意なく流されるといったことができなくなりました。それは良いことのようにも思えますが、この筆者さんが指摘しているように、「女を切り売りすることに抵抗のない世の中」に既になっています。
それは、社会的にそういう職業が認められて、悲しむ女性が減った、という意味では素晴らしいことのように思いますが、紹介した記事の筆者さんが言う、「女を切り売りすることに抵抗のない世の中」の方向へ、善意ベースで整備されている、ということになります。
このあたり、アングラで闇であったままの方がいいのか、クリーン化していった方がいいのか、ということは、賛否あるでしょうが、個人的には人身売買などは許せないので、クリーン化の方が良いのではないかな、と思っています。(AVの中身はもっと規制した方が良いとは思っていますが。)
ちなみにAV新法が成立したのは2022年6月とちょうど2年前。今回の帽子屋さんとのコラボの時期と重なります。AV新法は一見、良さそうに見えますが、当の女優さんとしてはなかなか出演してもお金が入って来なかったりで、それで映像以外の仕事をされる方が増えてきて、それでだんだんと認知が拡大してきて、今回のような批判に結実したのかもしれません。
ということで、話を戻しますが、ここでお伝えしたいのは、そもそも、「体を売るのは最終手段というのは幻想である」ということです。
ちなみに、橘玲さんの『幸福の資本論』には、このような記述があります。
私は男性なのでとてもできないと思ってしまうのですが、風俗にしてもAVにしても、資質がないとまず雇われないでしょうし、メンタル的にもとても大変なお仕事です。続けられるというのは相当にメンタルがタフではないと続けられません。
ですので、まず、「体を売るのは最終手段」というのは現代日本において、幻想だということをはっきりさせておきたいと思います。あなたが体を売れるかどうかはわからない。それは芸能界やタレント、芸人オーディションと一緒の世界なのです。
もうひとつ、面白いことを橘さんは書かれていました。
最後のところ、ああ、いい加減でルーズな人のことね、とも読まれかねませんが、こういう記述もあります。
何やら社会は我々の理解を超えて、進化してしまっているようです。そういえば、最近の風俗は、いわゆる裏社会の経営ではなく、表の経済活動、具体的には、アパレルなどの会社が副業的に運営しているところも増えている、という話を聴きました。写真撮影とかのセンスも抜群なので、結構、繁盛店になっているとか。
こうなってくると、「身体を売る」業界はその業界として、厳しい競争社会なんだ、ということがわかってきます。しかも、基本的に全員、フリーランスで勤め人ではないのですから、いつ客が居なくなり、いつクビになるかわからない実力勝負の世界。こういう世界でやっていける才覚と根性がない限り、継続できない世界である、ということがわかってきます。
ここまで見てくると、いわゆる「体を売るのは最終手段」と言っている女子達の発想の中には、橘玲さんの言う3つの幸せのうち、「自由」に対してマウントを取っているのではないか、という仮説が生まれてきます。
つまり、若い女子なら最悪、身体を売れば生きていける(これは実は幻想)なんだけど、自分は大事な家族も友人もいるし、そんなハレンチなことはできない。でも、おそらくそういうもの(絆関係のことだと思います)を犠牲にして、自由を手に入れて、それで嬉しいの?
という主張。紹介した記事の筆者さんの最終的な結論は、
でした。
非常に悲しいのは、実はこの筆者さんと、該当の元AV女優さんはおそらく、人的資本優位、という思考は非常に似通っている、ということですが、おそらく似通っているからこそ、嫌悪の対象にもなるのではないかと思います。
違うのは、この筆者さんが「仲の良い家族」と「日本の大企業」という社会資本の権化みたいなものを得ていて、そのかわりに自由を減じているのに対し、該当の元AV女優さんは、そういったものを犠牲にして、おそらくこの筆者さんより稼ぎ、有名人にもなり、自由を手に入れている、その対立なんじゃないかな、と思ったのでした。
個人的には元AV女優さんもそうですが、この筆者さんも記事がプチバズリして、この調子でいったら、会社を抜け出して自由になれるかもよ、とか思ったのですが、これは私のうらやましい、という気持ちが書かせています(笑。
というわけで、現場からは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。この記事が面白かったという方のスキ、何か言いたいという方のコメントもお待ちしております。
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