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備前さんぽ#02-3 ホワイトノイズ 林三從ミュージアム 〜「備前アートイヴェント」と人生の軌跡〜


ホワイトノイズ 林三從ミュージアム

備前さんぽ当日、いよいよ「ホワイトノイズ 林三從ミュージアム」へ。

西片上駅から徒歩5分。裏道に入るとコンクリート建ての建築が見えてきます。三從さんの死後、アトリエを記念館にし、作品や当時のメモやスケッチ、備前アートイヴェントの資料や機材を展示しています。

到着すると館長の林幸子さん(以下幸子さん)が笑顔で迎えてくれました。

「作品も、メモも、絶対に捨てないでください」

たくさんの資料や作品が残されているホワイトノイズ。
展示されているのはごく一部で、まだまだたくさんあるそうです。

「がらくたじゃけえ、捨てりゃあええよ」

亡くなる少し前、三従さんはご家族にはこう言いました。
それが今も残されているのは、当時一緒に活動した、小坂真夕さんたちアーティストが「作品も、メモの1枚も、絶対に捨てないでください」と家族に強く訴えたからです。後世に残さなければいけないから捨ててはいけないと。

ある時「作品を一度東京に送ってくれませんか」と連絡があり郵送したところ、ひとつひとつが額装されギャラリーの展示作品のようになって帰ってきました。そこで三從さんの弟さんの奥様だった幸子さんが「ここまでやってくれるなら、じゃあ記念館にしてみるか」と立ち上がりました。

さらに、三從さんのアート活動を知る人たちが300ページを超えるブックも作成。このおかげで今も三從さんの活動や人生を辿ることができます。

するとだんだん学芸員や研究者が興味を持ち、作品を買ったり、回顧展を開いたり、記事を書いてくれたりするようになったそうです。

「どイナカで、どアートする」備前アートイヴェント

この日訪れたメンバーの印象に残った言葉が「どイナカで、どアートする」

三從さんの作品は確かに初めてアートに触れる人には難解で「どアート」です。でも「場を共有する」「共に作る」「わかりやすい美しさではなく、それぞれの心に問いを向ける」という点でも「どアート」でした。

「デザインの仕事をしていると、ついつい"わかりやすくする"ことを意識してしまうけど、全てのものをわかりやすくする必要はないですよね。わからないことや複雑なことも、まずはそのまま伝えたり、受け止めたり……そういうことが、アートならできますよね」

そんな感想も生まれました。

アートは社会に役立つものではなく
人の心を動かし社会を変えていく力を持つもの

訪問の前日は、岡山市内で、備前アートイヴェントに参加したアーティストの1人・白神貴士さんのお話をうかがうことができました。今記録に残っている備前アートイヴェントの映像の一部は白神さんが撮影したものです。

白神さんいわく、三從さんと一緒に活動して記憶に残るのは「人を巻き込む」力。今でこそ、瀬戸内国際芸術祭のように地域の人を巻き込んでリサーチや制作を進めるアートが多いですが、当時はまだ珍しい存在でした。

大勢の人を巻き込んだことを表すエピソードとして「お弁当代が凄い」という話を聞けました。

備前アートイヴェントでは月に数回制作会議を行うのですが、アーティストや主催の商工会議所だけでなく、運営スタッフ・地域のお店や会社の方・ボランティア参加の市民など、毎回数十人が出席していたからです。
「同じ釜の飯を食うことも1つのものを作るには大事!」というポリシーを持っていた三從さん、人数が多いからと言ってお弁当代をけちったりすることはしなかったそうです。

それから「場を共有する」ことへのこだわり
あらかじめ決まった企画内容を取り決め通りにやるのでなく、当日会場に集まってくれた人の反応や動きを観察して、それにあわせて演出を変え、より多くの人に反応・参加してもらえるようにディレクションしていたそうです。

そのどちらも三從さん自身、意識的にしていたことでした。

備前アートイヴェントが開催された1987~1997年当時は「地域振興」ブームで、まちに人を呼び込むため地域にゆかりのないタレントを呼んだコンセプトなきイベントが多く、そこに疑問を抱く人もいました。三從さんもその1人で「一時的な場所の活性化ではなく、人の心を活性化させること」をめざして備前アートイヴェントを企画したのでした。

物理面の活性化もさることながら、人の心を活性化させる人間関係ーネットワークーと、その情熱を波立てることを基底に置くこと(略)。
決してアーティストを招いて客を寄せ、披露して見せるという「興行」ではなく、あくまで送り手と受け手=表現者と場を作り、同じ場、同じ時刻、同じフィールドワークを共有・共存する営みであること。

林三從アート集成「MIYORI PROJECT」より

備前アートイヴェントが「ヴェ」なのも、ほんの少し違和感を織り混ぜ、1日限りの賑わいを作るイベントとは違うことを表すためだったそうです。

そんなお話の締めくくりに、白神さんは「ある人の言葉ですが、林三從さんがやろうとしたのは、まさにこういうことだと思います」とこんな言葉を教えてくれました。

アートは社会に役立つものではなく
人の心を動かし社会を変えていく力を持つもの

備前で暮らす地域人としての姿

また、三從さんには児童画教室の先生としての顔もありました。
亡くなる直前まで約45年間続けたお仕事なので、非常に多くの教え子がいたわけです。幸子さんは「いつか三從さんに教えてもらった子供たちの当時の絵画展示もできたら」と語ってくれました。

さらに釣具屋として地元の人から慕われる面も。クルーザー免許(小型船舶免許?)も持ち、釣りに来た近所のおじさんと話したり一緒に海に出たりもしていたそうです。

備前アートイヴェントの時には、そんな釣具屋のお客さんや、子供たちやその保護者たちが「三從さんがやるなら!」と集まっていたそう。地域を巻き込むアートを作る底力は、こんなところからも来ているかもしれません。

窓越しの青空「good morning」シリーズ

「なんて濃い人生…!なんて情報量が多いの…!」
だいぶ長くなってきたのですが、あとちょっとお付き合いください。

1つ作品の紹介を。
絵画の「good morning」シリーズです。

窓から見た青空の絵で、過激で難解・前衛的なイメージの強い作品の中で、これだけはひたすら真っ直ぐで明るく、「今ここ」ではないどこか遠くにある希望を見てるような作品でした。このまちに根差しながらも、遠くを見つめる自由な眼差しを持ち続けてるような、そんな印象を受けました。

三從さんは、オノ・ヨーコさんとの交流もあったそうです。
オノ・ヨーコとジョン・レノンの出会いはオノ・ヨーコの展示会。望遠鏡をのぞいた先に小さな「Yes」の文字を発見する作品(オモコロさんの記事がわかりやすいです)を見たジョン・レノンが、そこに書かれた言葉が全てを肯定する「Yes」だったから心惹かれたというエピソードが残っています。
想像でしかありませんが、それと似た感覚を感じました。オノ・ヨーコの影響を受けたかどうかはわかりませんが、三從さんは人生を肯定する作品が作りたかったのかもしれない、と想像を膨らませたりしたのでした。

三つに從うなら「真・善・美に私は仕えたい」

三從さんのお名前に、こんなエピソードが残っています。

三從さんは戦前の旧家の生まれ。
子供時代には儒教の教えが色濃い閑谷学校にも通っていました。
そんな彼女の名前の由来は、儒教の「三従訓」。それは「家にあっては父に従い、嫁いでは夫に従い、夫が死んだあとは子に従う」というものでした。現代の女の子が聞いたら「え!?」と驚く由来だと思います。

そんな彼女が大人になった後、こう言ってるそうです。

「真・善・美に私は仕えたい」

地方に生まれ、あの時代を生きた、女性として、アーティストとして。
三從さんが見た景色はどんなものだったのでしょう。

前衛芸術家としての鋭さ、時代や体制への反発心、備前アートイヴェントを10年にわたり成し遂げたエネルギーや先進性、メール・アートにあらわれる繊細さや、good morningシリーズから感じるまっすぐさ。さまざまな側面を持ち、アーティストとしても地域人としても活躍した、林三從さん。そんな彼女の多面的な魅力にすっかりのめりこみ、この日ホワイトノイズを後にしたのでした。

文:南裕子
写真:kanae / meg / minami


BIZEN CREATIVE FARMでは、自分でまちを歩いて、見て、聞くことで、備前の魅力や知らなかったモノ・コトを発見する「備前さんぽ」を不定期で開催しています。開催時には、SNSでおしらせするので、興味のある方はぜひ一緒にまちに繰り出しましょう!

■備前アートイヴェント・アーカイブ(動画・PDFドキュメント)

※こちらのアーカイブは、備前アートイヴェントにも参加された白神貴士さんが制作されたものです。


ホワイトノイズ 林三従ミュージアム
〒705-0021 岡山県備前市西片上40(JR西片上駅から徒歩7分)
見学をご希望の方は必ずご予約の上訪問ください。
o9o-6837-1562(現館長の林様直通、oを0にして発信ください)
林三従アート集成「MIYORI PROJECT」(¥4000+税、A4変形310P)販売中

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