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構想発起人への問答集(前編)

びわ湖上のメガソーラー発電所で、滋賀県の家庭用電力の50%を賄う――。
これは、半導体の技術開発に40年間従事した父(滋賀在住:廣部嘉道)と、東京の都市デザインに関わる息子(滋賀出身:廣部嘉祥)の構想です。一市民の日常的感性を出発点に、現行の都市・エネルギー政策にはない“オルタナティブな未来”を探求します。

今回は、構想の発起人(父:嘉道)に、構想の狙いやきっかけをインタビューしました。「水上エコビレッジ構想」の概要はコチラより。

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構想発起人の略歴
・1970年に大学院修了後、関東の電機メーカーに就職し、社会人としてのスタートを切る。以降、定年の60歳までに電気・電子機器のメーカー3社で半導体の技術開発部門に勤務。

・退職前の4年間、経済産業省からの受託調査・研究を行なう財団法人に出向。経産省による国家プロジェクトの企画・運営を担った。大学や国立技術研究機関の研究者、企業の技術者が集うプロジェクトの企画・運営を実務者として担当したことが、この構想に繋がる。

・退職後、かねてより関心のあった環境問題に、自身のエコ生活を通して向き合うべく、心弾んで滋賀に帰還。その翌年、リーマンショックによって、滋賀の地域経済の脆弱性を目の当たりにし、構想を練り始める(帰還して6年後、書籍出版)。

1.構想の本当の狙い

Q:構想の本当の狙いはどこにあるのか?

A:エコビレッジ構想を通じて、環境問題と雇用問題を同時に解決し、「持続可能な地域社会」を創りたいと考えています。これは狙いであり、僕の願いでもあります。「持続可能な地域社会」とは、人によって企図するところが様々であるけど、僕が考えるものは、①地域の自然資源と向き合い、活用と保全を行うこと(資源の活用)、②子育て世代やクリエイティブ人材が集い、次世代社会に意思ある活動がなされること(人材の集結)、③経済的な自立によって、地域にお金が循環すること(資金の循環)を条件とします。資源と人材、資金が連動すればするほど、持続可能性が高まる社会とイメージいただきたいです。

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それによって、都市や中央に依存することを卒業し、「地域のことは地域で決める」といったオーナーシップを育みたい。特に、30代ぐらいの未来世代が、前のめりになれる土壌をつくれたらと思います。


Q:世界最大級の水上メガソーラーの建設は、手段であって、目的ではないということ?

A:はい、その通りです。水上太陽光発電事業は、この地域(滋賀県)に住む人々の経済的・社会的安定性を確保するための手段という位置付けで、目指すところは先ほど3つの要件を示した「持続可能な地域社会」です。

では、なぜ水上太陽光発電事業かと言えば、滋賀県の資源ポテンシャルを活かせる方法だというのが僕の見立てです。というのも、滋賀県の資源のウリと言えば、全国1位の工業県(県内総生産に占める工業の割合、2014年)を支える高度人材、肥沃な田畑の農地、すぐにでも間伐できる広大な森林、そして日本一の大きさを誇るびわ湖があります。しかし、現状では、これらの資源は、県民のために有効に活用されているとは言えません(特に、びわ湖と中山間地の森林)。

例えば、琵琶湖は、下流域の都市住民1,300万人の飲料水として活用されているだけだが、その空間・立地・生態系は県民のためにもっと活かせるでしょう。また、森林は、年間成長量の数分の一の伐採しか行なわれておらず、荒れています。したがって、未活用のままの自然資源を、県民の生活・福祉・経済へ活用することを見据えて、主幹事業として水上太陽光発電ならびにバイオマス発電事業を起こしたいと考えます。また、その成果物である電力を利用して、農林水産・観光・福祉・教育事業を仕掛けたい。地域社会が自立・自給するためには、複数事業が相互連携する高度産業化は避けて通れず、事業が派生するほどに人材や資金がさらに集まってくるでしょう。

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水上メガソーラーが目的ではなく手段だからこそ、(極端な言い方になりますが)、1,500MWという世界規模の水上メガソーラーを完成させても、それで目標達成とはなりません。例えば、海外の安い資材(太陽光パネルや木材)を使って建設しても、地域にはお金が巡らないからです。また、企業本位で進めてしまい、市民が置き去りにされるのもナンセンスです。今日、持続可能性という言葉はトレンドワードになりつつありますが、本来、地味なものです。なぜなら、持続可能性とは、急成長を求めず、長期的視点での成功を追求するため、瞬間的には目立つことはしませんし、寧ろ本来の形に戻していくようなものだからです。

2.きっかけは、地域産業の衰退

Q.構想のきっかけは?

A:2つの出来事がきっかけだったように思います。1つ目は、退職を機に、親が残した田舎の家を使ってエコ生活を始めようと、リフォームした時のこと。2008年のことなので約15年前です。その時、林業者から、「海外の安い木材に押され、国産木材の需要が少なく、山の木が伐採できない。伐採時期に伐採しないから森林が荒れた」という悲痛な声を聞きました。また、屋根に太陽光発電パネルを搭載しようとした時、パネルの搭載面積が小さいにも関わらず、屋根の構造条件から工事費用が想定以上に高くつく事案が発生しました。日照条件が良いため、その見積額は想定外でした(その後、太陽光発電パネルの発電効率が向上し、またパネル搭載の工夫もされて、5kW弱のパネルを難なく搭載)。住宅で太陽光発電を導入するのは、エコな意識がいくらあろうと個人には厳しいことがよく分かりました。

その時、滋賀で一番広い空間として「びわ湖の水上」に着想し、進捗が芳しくない滋賀県のエネルギー政策を推進するには、びわ湖活用という“オルタナティブ”が必要ではと思いついたのです。また、山間地から木材を調達して、太陽光パネルを搭載する筏を組めば、木材需要を創造できるとも考えました。これがこの構想の出発点でした。かなり個人的な問題から始まったと言えます。そして、その年に勃発したリーマンショックが2つ目のきっかけとなりました。

米国で起きたリーマンショックの影響は、1年掛かって、滋賀県にも強烈に及びました。リーマンショックの影響で雇用状態が悪化し、工業県・滋賀に多数あった工場から大勢の解雇者が発生。当時、滋賀県の有効求人倍率は0.5、つまり、求職者が100人いても、企業からの求人数は50人で、半分の人は職に就けないというシビアな状況でした。実際、ハローワークには大勢の求職者が押しかける場面がテレビに映し出され、その中に多くの若者が居ることが目につきました。僕はその姿を無視できなかった。その後、ハローワーク相談員としての経験はないのに、工場の雰囲気をわかっているのは技術畑の人間だろうと勝手に納得して、臨時職員の試験を受け、約半年間、ハローワークの臨時職員として若者の就職支援を行ないました。

その期間、若い勤労者の雇用環境の悪さに驚愕したのを今でも覚えています。その経験から、構想の目的に「安定した雇用環境の創出」を入れることにしたのです。


Q. 未経験のハローワークで働くには、強い意志が必要だったのでは?

僕がハローワークに勤務しようとした背景にはもう1つ理由があります。あれは、新入社員として半導体部門で働き始めた頃、休憩時に同僚と雑談していた僕に、ある先輩が声を掛けてきました。「君はなぜ技術者になったのか?」と。僕は咄嗟に、「開発した技術を盛り込んだ商品が、顧客に喜んで使ってもらえる。それはきっと技術者冥利につきると思うんです」という意味合いの返事をしました。するとその先輩は、「特に開発部門の技術者にはもう1つの使命がある。それは生産現場の従業員に仕事を創ることだ」と言う。実は、その言葉はその後何十年も、僕の頭の中にずっと残っていました。ハローワークで臨時職員となったのはもちろん、構想でも誰かの仕事を創る、というのは僕にとってキーワードです。

※電力・熱エネルギー事業については、下記の電子書籍で、寸法やコストを算定しています。興味ある人は是非一度ご確認ください。

1. びわ湖・水上エコビレッジ構想
2. 構想発起人へのインタビュー(前編)←本稿
3. 構想発起人へのインタビュー(後編:自費出版してまでの強い想い)

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