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肥後琵琶について①

皆様いかがお過ごしでしょうか?

コタロウでございます。

肥後琵琶とはなんじゃいな?という回答になればという記事です。

そもそも琵琶というものは、中央アジア発のシルクロードを辿り、奈良時代に日本に伝来した楽器です。日本においては多種多様に花開いた楽器だといえ、撥(ばち)で弦を弾く撥弦楽器(はつげんがっき)に分類されます。

琵琶について↓

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%90%B5%E7%90%B6


様々にある琵琶の中で、肥後琵琶は1973年3月27日に国の選択無形文化財(記録作成等の措置を講ずべき無形文化材)に指定されています。

肥後琵琶文化庁データベース↓

解説文にあるように古くから琵琶で竈祓いや新築祝いをしていた肥後の琵琶弾きたちに中央から古浄瑠璃と言われる語り物が伝わったことで肥後琵琶として発露したと考えられています。

肥後琵琶師の口伝の中では1674年に当時の肥後藩主細川家が、当道座に所属する平家琵琶の名手である岩船検校(船橋検校)が「菊池くずれ」を創作し肥後の琵琶師に伝えたことを語り継いできました。そこで1674年を肥後琵琶発祥の年としています。

当道座について↓


さて江戸時代に花開いた肥後琵琶ですが、明治時代になると盲目者の組織である当道座の解体、筑前琵琶の誕生や古くからあった薩摩琵琶も革新されます。筑前琵琶や薩摩琵琶は、当時、新体詩と呼ばれた七五調の語りや歌を取り込み、関東を中心に爆発的に流行します。そして全国へ広がっていくのです。

その後も大正時代昭和時代と琵琶といえば「筑前琵琶」「薩摩琵琶」となり、肥後琵琶は徐々に奏者を減らしていきます。

古い琵琶語りである古浄瑠璃調の節回しは革新しなかった肥後琵琶を含む一部の盲僧琵琶に残ることになります。これが国の指定を受けている一つの部分になります。つまり取り残されたら、その部分にスポットライトを浴びたという塞翁が馬状態という訳です。

1973年に国の選択無形文化財の指定を受け、熊本県は肥後琵琶保存会を発足します。予算を組み、調査を行います。今から47年前(2020年現在)になります。

1974年には20名弱の肥後琵琶師の生存の確認と肥後琵琶300周年記念の講演と演奏会、後継者の育成の報告、記念のレコードまで作っております。

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しかし2020年現在、演奏活動(アマプロ含め)している肥後琵琶師は日本全国で私を含め3名です。

全国で3名ということは世界で3名です!息も絶え絶えどころか瀕死の文化なのです!!

次回、肥後琵琶について②へ続きます。



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