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ことこと、と。


 真夜中、家族が寝静まったキッチンで、鍋を火にかける。
 ことことと。
 何かを煮るのは、とても楽しい。

 煮るのが好き、と気付いたのはいつ頃だっただろう。
 料理することは好きだけれど、いかに手抜いて美味しいものを食べられるか、どれだけ節約できるかと考えながら作る。
 レストランのような料理は並ばない。
 SNSに「#料理女子」なんてタグをつけたりもできない。
 居酒屋かよというメニューや、全体的に茶色い大皿料理がどーんと食卓に乗っていることが多いから、全く映えない。
 それでも作ることは好き。
 小学生の頃からご飯を作り始めて、今に至る。
 なので、多分料理は得意じゃないけど好き、という認識で生きて来た。
 その中でも、煮るのが好き、ということに気付いてからは、時々真夜中に何かを煮る。
 それが私のストレス解消で、気持ちを落ち着ける方法だから。

 乾物を詰め込んだ引き出しには沢山の種類の豆。大豆、黒豆、小豆、金時豆、大福豆、花豆。
 水に浸してからゆっくりと火を通す。
 ことこと。
 ゆらゆら。
 豆が小さく踊るのを見つめて、何時間も立ち尽くす。

 お魚はアラが好き。
 良いブリや鯛のアラを見つけたら、必ず買ってしまう。
 もちろん、赤魚やカレイ、ブリ、サバなどの切り身を煮ることもあるけれど、圧倒的にアラ。
 さっと洗ったら塩を振り、水が出たら軽く湯通し。
 優しく洗ってうろこや血の塊を除く。
 この手間が何とも楽しい。
 平鍋に並べてお水とお酒、薄切りの生姜、お砂糖、醤油。ひたひたのそれで落し蓋をしてゆっくりと煮る。
 煮汁がとろりとするまでじっくりと。

 煮るのが好き。
 揺れるお鍋の中身を見つめているのが好き。
 真夜中の暗いキッチンで、コンロの上の小さな明りだけで立ち尽くす。

 モツを煮込むときは、味噌味と醤油味のどちらにしよう、と考える。
 どろどろになって味のしみ込んだモツは、七味を振って食べる。
 お酒に良く合うそれを、時間をかけてゆっくり煮込む。
 パイカは最低でも5時間。
 白い軟骨が透明になって、ゼリーみたいにトロトロになるまで煮る。
 ことこと揺れるのを見つめていたら、ぐう、とお腹が鳴る。

 そんなに高くない、薄い鍋でも煮込み料理はできる。
 たぶん、重たくて分厚い、いい鍋ならもっとおいしいんだろうけど。
 コンロにかけられたその鍋を見つめていると、色んな事を思い出す。
 そして、色んな事を考える。
 時々考えすぎて落ち込んで、元気を出すために煮ているのに、本末転倒。

 柑橘類は皮をマーマレードにする。
 洗ってから千切りにして、流水でぎゅっぎゅとつかみ洗いし、アクを抜く。何度も繰り返して、どぎつい黄色い汁が出なくなるまで丁寧に。
 お水とお砂糖、レモン汁を加えてひたすら煮詰める。ワタの部分が透明になって、皮がつやつやするまで。
 ことこと。
 ことこと。
 ピールを作る時には4つ割くらいにした皮を3度ゆでこぼしてから、お水とお砂糖を入れて煮る。あまりやわらかくなりすぎないようにして、水分を軽く飛ばしたら食べやすく切って乾燥させる。

 煮るのが好きだ。
 落ち込んだ時、疲れた時、何だかむしゃくしゃする時、真夜中に一人、鍋を火にかける。
 強火は厳禁。
 豆でも、魚でも、肉でも、スープやシチューでも、ジャムでも。
 ゆっくりじっくり火を通していく。
 できるだけ時間がかかればいい。
 それだけ沢山、鍋を見つめて思い出し、考えることができるから。

 真夜中、キッチンで立ち尽くす。
 嫌な思い出は、定期的にめぐってきて、私を傷つける。
 まだ立ち直れないあんなことやこんなことも全部、この鍋に放り込んで、ことことぐつぐつ煮込んで溶かせればいいのに。
 暗がりの中立ち尽くし、一人泣いたりする。
 鍋の中では鯛の頭がどーん、と鎮座してこちらをうつろな目で見ている。
 そんな鯛と目が合って、何だかおかしくなって笑ってしまったりもする。

 煮るものが何もなかったら、とりあえず缶詰のトマト、ニンニク、スライスした玉ねぎをぶち込んで、トマトソースを作る。冷凍庫にひき肉があれば、ミートソースにだってなる。

 落ち込んだり、疲れてたり、むしゃくしゃしていたり。
 眠れない夜は、鍋を火にかける。

 煮るのが好き。
 真夜中のキッチンも、好き。
 眠れない私を救ってくれるのは、そんな時間。

 さあ、明日は何を煮ようかな。

 了 

 ★見出し画像はじっくりことことパイカの煮込みです。

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