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びっとらんだむ:Sweet Stories Scrap

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noteで見つけた小説やエッセイのセレクション。皆さんからの推薦作品もお待ちしてるぜっ!🍌
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2020年10月の記事一覧

カルピス

 からん、と大きな氷が涼し気な音を立てる。二つ並べた背の低く幅広なグラス。カルピスの原液を注いで、それからミネラルウォーターを静かに流し入れる。「カルピスって牛乳入れても美味いよ」と、芳人がそれを覗きながら言う。  出来上がったカルピスをサイドテーブルに運んで、私はもう一度ベッドに寝転がった。 「えー、また本読むのー?」  芳人がベッドに腰掛けて口を尖らせる。無視して文庫本を手に取る。うつ伏せで肘を立てて栞の挟まったページを開く。 「早く読み終わってね」  芳人は言

Sweet Stories Scrap マンスリー Vol.3 2020/10

 noteマガジン「Sweet Stories Scrap(SSS)」はnoteに発表されている小説の中から、独断と偏見で選ぶ『ステキな小説のスクラップブック』。月イチで批評を記事にして配信中(今回で3回目。前回記事も読め。いや、お願いだから読んで)。noteで気に入った作品があったら、ぜひ教えてくれっ✌️  めっきり秋らしくなって寒くなってきたので腹巻きしなきゃと思ってます。皆さんは寒くなったらどんな格好で寝とるんスか?  さて、今月の3作品。 世にも奇妙なホームヘルパ

窓際のお婆さん

「あの女の子、本当にかわいいねぇ」 「いや、男の子だろう?」 「えー、女の子でしょう」 こんな他愛もない会話を交わしていたのは、近所の老夫婦だ。 もう2年ほど前のこと。 当時、私の仕事用のクルマを停めていた駐車場は、マンションから徒歩3分くらいのところにあった。 毎朝通うその道沿いに、一軒の古い商店があった。 商店、といっても、書かれた文字が読めないほどに朽ちた看板が掛けられていて、通りに面した大きな開口部がお店なのだろうとわかる程度。 具体的に何を扱っている

『ミナト植物園』

「別れよう」 突然、告げられた。 長く育む関係ではないと、最初からわかっていた。それでも二年、続いた。 シーツに染み込んだ、外国製のタバコの香り。何度洗っても消えない。甘ったるい洗剤の匂い、太陽の日差し。それよりわたしが求めるのは、あの人のタバコの香りだった。 水曜の夜がぽっかり空いた。木曜日、寝不足の顔で電車に乗り、会社へ出るのが楽しかった。誰も知らない、あの人との関係。二人きりの秘密。 仕事を休んで、反対方向の電車に乗った。あの人が綺麗だと褒めてくれた、真っ白のワ

スペシャルホリデー

通勤電車がとつぜん停止した。駅と駅の間の、踏切も何もない場所だ。人々は顔を見合わせて、アナウンスを待った。少し経って困惑したような車掌の声が車内中に響き渡った。 「ただいま、線路上に羊の群れを確認したため、運転を見合わせております」 車内はにわかにざわめき出した。しかつめらしい表情のサラリーマンも、眠たげだった学生も、驚きと期待に揺り動かされてことの展開を待った。先頭車両の人々は窓を開け、身を乗り出して羊の姿を探した。 「ほんとうだ」 「羊がいるぞ、それもたくさん」