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窓際のお婆さん

「あの女の子、本当にかわいいねぇ」

「いや、男の子だろう?」

「えー、女の子でしょう」

こんな他愛もない会話を交わしていたのは、近所の老夫婦だ。

もう2年ほど前のこと。

当時、私の仕事用のクルマを停めていた駐車場は、マンションから徒歩3分くらいのところにあった。

毎朝通うその道沿いに、一軒の古い商店があった。

商店、といっても、書かれた文字が読めないほどに朽ちた看板が掛けられていて、通りに面した大きな開口部がお店なのだろうとわかる程度。

具体的に何を扱っているのかはまるでわからなかったし、そもそも営業しているのかすらわからなかったが、毎朝その開口部にあるシャッターは開けられていた。

商品が陳列されているわけでもなかったけれど、何かしら商売はしていたのかも知れない。

その前を通るたびに、同じ通りに面した一つの窓際に座ったお婆さんが、うちの息子を見つけては、お爺さんと二人で、あの子が男か女かという話で盛り上がっているのが聞こえたのだ。

しかし、名も知らぬ人たちであったし、決して私たちに声をかけてくることもなかったので、こちらとしてもなんとなく、家の中にいる人に「おはようございます」なんて挨拶をするのも憚られ、見られていることにさえ気づかないフリをして通り過ぎていた。


そんなある日のこと。

その商店らしき家の開口部がぴしゃりと閉じられていることがあった。

それまで、天候も季節も関係なく、毎日開いていたので、少しだけ気になった。

その日の夕方、息子を保育園から連れて帰ってくると、今度はその家の前に数人の老人が集まっていた。

どうやらお通夜のようだ。

集まっているのはどうやらご近所さんたち。

皆一様に喪服に身を包んでいる。

見ると、いつも開いていたシャッターの前に、お通夜を知らせる看板(正式名称がわからない)が立てられていて、そこに女性らしき名前が書かれていた。

どうやら、あのお婆さんが亡くなったらしい。

その日を境に、あの家の前を通っても、いつもお婆さんが外を覗いていた窓が開けられていることはなくなった。

声を交わしたこともない名も知らぬ人の消失に、うっすらと寂しさを感じてしまうのは初めてのことかもしれない。

その家の前を通るたび、今までとは違うよそよそしさを感じるようになった私の隣には、いつもと変わらぬ息子が、とたとたと歩いていた。

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