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【第6夜】消灯までショート×ショート

第6夜「バルサン」

「よし、これでほとんどの荷物は片付いたな」

6年暮らした高円寺に別れを告げ、新居となる茗荷谷へやってきたのが3週間前。

サボりまくっていた荷解きも一段落つき、俺は久々にダンボールのない部屋に腰を下ろした。

仕事場まで乗り換えせずに行けるという安直な理由で決めたこの街だが、街の雰囲気が自分の故郷にどことなく似ている気がして、すっかり第二の故郷と呼べるくらい馴染みの街になった。

「引越し先を決めるまで名前も知らない街だったのになぁ」

そんな独り言を呟きながら、アパートの小さな窓を開けると外には初夏の風が吹いている。

季節は5月。涼しい風の狭間にジトッとした暑さも感じるような今日この頃だ。

俺はそんな夏の気配を感じながら、1つ重要なことを考えていた。

「バルサンの2回目いつやろうかなぁ……」

バルサンといえば、一人暮らしの天敵である虫を葬り去ってくれる偉大な発明品だが、その強力さ故に2〜3時間は家を空けなくてはいけないという欠点を持ち、時間と気持ちに余裕がある時でないとできないのがたまにきず、という商品だ。

入居直前に1回目は実施済みだが、徹底的に対策するなら入居してから2週間を目処に2回目をやると良いらしい。

せっかくの自分だけの城で虫たちと同居するのは真っ平御免だが、自分の面倒臭がりな性格に勝てずに今日までズルズルと予定を先延ばしにしてしまっていた。

チラリと壁のカレンダーに目をやれば、今日以外の日には全て何かしらの予定が書き込まれている。

本当なら何かの予定で家を空けるタイミングで一緒にやればいいのだろうが、自分の性格的に面倒になって、まあいいか…と別日に回してしまうことが容易に想像できる。

10分ほど悩んだ末、買い置きしていたバルサンを設置して、外へ出掛ける準備を始めた。

外へ出てみると部屋で感じていたよりもずっと涼しくて過ごしやすい。少し遠くの商店街で夕飯の買い出しを済ませ、残りの時間を家の目の前の小さな公園のベンチで時間を潰すことにした。

木の葉が風に揺れる音と少し遠巻きに聞こえる子どもたちの声が心地よい。ついウトウトしかけた時、頭上から声を掛けられた。

「お隣座ってもいいですか?」

声の方向に目をやると、明るい色の髪をポニーテールに縛った、いかにもランニングの真っ最中というような出で立ちの女性が立っていた。

休憩のために公園に立ち寄ったのだろうか、手にはポカリスエットを持っている。

「いいですよ」

眠気で少しダルい身体を左に寄せて場所を作ると、彼女はちょうどペットボトル1本分くらいの間隔を空けて腰を下ろした。

2人の間に何となく気まずい空気が流れる。
たまたま相席になっただけの女性なんて無視してさっさと昼寝をしたいところだが、なんとなく感じが悪い気がして、つい話題を探してしまう。

「…ここにはよく来るんですか?」
「ええ、まあ…ランニングコースなので……」
「僕は家がすぐそこのアパートなんですよ」
「へぇ…」

再び流れる沈黙の時間。
声を掛けられた時に、もしかして運命の出逢いかも、なんて一瞬でも期待した自分に説教をしてやりたい。

時計を見ると家を出てから2時間程度が経っている。家に帰るには少しだけ早いが、沈黙の空間に耐えられなくなって席を立った。

「じゃあ…そろそろ……」
「……あの!」

呼び止められた声に反射的に振り返る。
そんな連絡先を聞かれるような運命的な出逢いではなかったと思うんだが……

「どうして…どうして芸人辞めちゃったんですか……?」

泣きそうなくらい声が震えている彼女の言葉にドキッとした。まさか彼女が自分の素性を知っていると思わなかったからだ。

彼女の言う通り、俺はつい先月まで芸人として活動していた。活動していた、と言えば聞こえはいいが、芸人としての給料なんてほとんどないような状態で、フリーターのような生活を送っていた。

同期や後輩たちと居酒屋でバラエティを眺めながら「売れたい」とクダを巻いていた時代は良かった。いつか自分もその席に座れると信じていたし、それを叶える実力も運も持っているつもりだった。

しかし現実はそう甘くなかった。一緒に飲んでいた仲間たちが次々と「賞レースで決勝に行った」だの「SNSでバズった」だの、色々な舞台で結果を出していく中、自分だけずっと同じ場所に取り残されていた。

その焦りから、テレビで同期の活躍を目の当たりにしたり、雑誌で後輩のインタビューを見たりする度に、酒に逃げるようになった。

それがきっかけで数少ない舞台の出番を何度も飛ばし、ついには相方にもファンにも愛想を尽かされた。

夢を抱えて大学卒業と同時に上京。気付けば芸歴7年目。相方との解散が決まったのは30歳の誕生日のことだった。

「芸人を辞める」という決断は当然の流れだったし、周りからしたら遅すぎた決断だったのかもしれない。

「まあ、なんだろ…向いてなかったのかなぁ」

ヘラヘラと精一杯の明るい声で返事をしたのは、俺の芸人時代を知っているらしい彼女にできる、せめてもの強がりだった。

「…わたしは!最後までファンでした…!」

叫ぶような彼女の言葉から逃げるように公園を後にする。アパートの階段を駆け上がって、勢いそのままに部屋に入る。

「……いまさら遅いんだよ」

芸人として成功するんだと豪語して、身一つで故郷を飛び出して来た日が昨日のようだ。

何も成し遂げずに夢を諦めた自分の不甲斐なさとバルサンの残した煙が目に染みて、故郷に似た街並みが滲んで見えた。

きっと彼女はすぐに俺のことなんて忘れて、すぐに他の芸人を好きになるだろう。
だから大丈夫。俺だってすぐに忘れられるさ。

Fin

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