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漆黒の孤独の先


久しぶりに今週の一枚は「花」


Googleで画像検索したら、ツツジとかサツキとか出てきて、どっちか分からないから、とにかく題名は「花」だ。


だから、花言葉も調べてない。


ブログも1人でも自分の心の中を知ってもらうために始めたから、今はその目的も達成したし、なんだか毎日同じようなことばかり書いてしまってるから、このままフェードアウトする方が俺の去り際としては似合ってるかなと思ってたけど、でも、何も書かない日でも見に来てくれる人がいるから、また書いてしまった…


何か時事ネタでも面白い事を書こうかなと思ったりはするが、物事に対する怒りも湧かないし、文章にするほどの批判的な気持ちもないので、またふわふわとした自分の心の内を書いてる不思議な気持ち。


昔は外の天気など、まったく気にしてなかったし、花が咲こうが枯れようが何も心が動かなかった。


4年ほど前は毎日のようにお金の事しか考えてなかったからだ。


しかし、これは決して悪いことではない。


資本主義社会において、お金さえあれば、ほとんどの願いが叶う可能性が高い。だから、お金優先で動くのは間違いではないと思われる。


だから、俺は4年ほど前はお金だけを最優先で追い求めてはいた。しかし、それは幸せになるためではなく、人に怒られないためだ。目先の暴言や怒りから逃れるために、毎日毎日、お金だけを追い求めていた。


しかし、せっかく稼いだお金を目の前でなんの価値もないように、ゴミのように扱われて「俺は何のために頑張ってるのだ?」


そんな思いを毎日のように感じていた。


「こんなに俺のお金は価値がないのか?なんで、人の思いのこもったお金をこんなに無駄にするんだろう?この人に人の心はないのか?」


こんな思いだ。


例えるなら、こんな感じで俺の稼いだお金を無駄にされた。

俺の用意したお金が一万円ある。しかし、このお金ではダメだと言われた。俺の一万円は全国どこでも使えるのである。しかし、別の場所で用意する一万円じゃなきゃ嫌だと。しかし、そこに行って別の一万円を用意するのに、ガソリン代と高速代で二千円はかかる。だから、普通は俺の用意した一万円でいいじゃない?


でも、モラハラが激しい女性はそのお金は嫌だと言う。


だったら、経費込みの12000円を渡すよ。それだと2千円は得になるからいいのでは?と提案した。しかし、それも嫌だと言う。


だから、俺はわざわざ遠くまで行くのだ。ガソリン代と高速代を使って、別の一万円を取りに。


無駄な時間とガソリン代と高速代を使ってだ。


俺の一万円ではなく、彼女納得する遠くの一万円を取りにだ。


こんな思いを数限りなく繰り返し、気付けば10年以上の時を一緒に過ごした。


その時の俺はこんな日々に慣れてしまい、自分の心が壊れてるのに気付いてなかった。


何しろ、人前での土下座を強要されて、これはさすがに出来ないと拒否したら、代わりに出てきた選択肢が、


「なら死んで」


なのである。


そして、心がおかしくなってた俺は、


「それなら出来そうだ」


そう思ったのだ。


人前での土下座より、自殺を選ぶという異常な日常だ。


普通の人がお金を求めるのは、欲しい物があったり、好きな人を喜ばせたいと思ったり、何かの欲求を叶えるためが大半だろうけど、4年前の俺はたった1人の人の怒りの感情を抑えるためだけに必死にお金を追い求めていたのである。


だから、日々の天気も美しい花のダンスにも一切の興味が無かった。


しかし、今の俺は朝起きてのんびりと空を見上げて、1日の天気を知り、そして、美しい花がコンニチワしてるのを、トトロを初めて見たメイちゃんのようにお目々をキラキラさせながら写真に撮ってるのである。


こんな日常が来るなんて思ってもなかった。


しかし、それと引き換えに心の中には何も残ってないのが明らかになった。


寂しいと思う心が無くなり、人との繋がりを求める心も無くなってしまってたのだ。


ストレス無き人間関係は、多数の人の憧れだとは思う。


しかし、人間は無い物ねだりだ。


人と関わる以上は必ずストレスは必ず付きまとう。しかし、ストレスが無いという事は孤独と隣り合わせなのだ。


果たしてストレスから逃げた代わりの漆黒の孤独に耐えられるかな?


耐えれない時は、やはり誰かが側にいてほしいと思うはずだ。


だから、極論を言えば人生は二択なのだ。


漆黒の孤独か人間関係で悩む人生かの二択だ。


多分、いや、間違いなく、時には大喧嘩して泣いて落ち込んだりして、誰かと切磋琢磨しながら生きる選択の方が結局は幸せであり、楽しく充実感がある人生のはずだ。


しかし俺は、その二択の答えが分かってるはずなのに、正しい選択を取る原動力すら無くしてしまったのだ。


花を美しいと感じる心を得た代わりに、俺は大事なものを無くしてしまったのに気付いてしまった。


そんな思いを知ってか知らずか、今週の一枚の「花」は、こんな俺にも優しく微笑んでくれている。

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