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もう一度だけ

天気の良い昼下がり、今日もまた相変わらず子猫や子犬、保護動物活動の動画ばかりを見てる。


それは可愛さだけの感情で見てるわけじゃなくて、捨てられた動物たちをなんとか救いたいという慈愛のような気持ちが湧き上がり、動画を見るのが止まらなくなってるのだ。


これはだね、近い将来、俺は犬か猫を家族として迎え入れる未来になりそうだ。このまま動画を見てるだけでは、この溢れ出る母性愛が抑えられそうにないからだ。


でも今はダメだ。なぜなら、今の俺はまだ長期間家を空ける可能性がある人間だからだ。そう、俺はまだ人生の旅の途中。


過去の俺の旅は、春になると南に旅立ち、ソメイヨシノに「コンニチハ!」と陽気に挨拶をしたかと思えば、冬になると宗谷岬に赴き北風の前でセンチメンタルに黄昏れる……そんな情緒不安定な旅ばかりだった。そして今は心穏やかで落ち着いてるとは言え、いつ旅に出るかは分からない状況でもある。


ペットを飼うとは、これはすなわち小さな命を預かるという事であり、この命を最後まで責任を持つという事でもある。だから、可愛さや憐れみの感情だけで安易にペットを飼うのはダメだと自分に言い聞かせてる毎日。でも、今すぐにでもペットを飼いたいという思いが日に日に強くなる。


しかし、改めて思うが子犬や子猫って本当に可愛い。


餌を食べてる姿を見てると心がトロケてしまいそうになる。さらに子猫や子犬の顔を見てるとちゃんと人間みたいに表情があるんだよ。喜んでる顔、怯えてる顔、本当に表情豊かだ。


そして俺がなんとも言えない感情になるのは、人間に虐待されたか何かで人間をまったく信用せず怯えてプルプルと震えてる子犬や子猫が「また何かされるかも?」と怯えながらも人間に頭を撫でられ、餌を与えられ、そして再度心を開いて人間をもう一度信用して自ら頭を撫でられに人間に近付いて行く瞬間だ。


最初の怯えてる姿から想像するに、かなり怖い思いをしたに違いない怯え方だった。上目遣いで体をプルプルと震わせ、こんな絵に描いたような怯え方ってあるのか?どこかの劇団で怯える演技を灰皿を投げつけられながら強制的に覚え込まされたのではないのか?と、そんな風に疑ってしまうほどの迫真の怯え方なのだ。


そんな風に人間に怯えて体の震えが止まらなくなってる子犬や子猫の姿を見ると、俺はなんとか助けたくなる。


人間に怯え切ってる子犬や子猫が、再度、人間を信用して自ら人間に近付いて行ってる姿に今度は俺の心が感動してプルプルと震えるのだ。


恐怖に怯えながらも、もう一度、人間を信用しようとする健気な動物の姿を見てると、人間にはない尊い何かを感じる。


そして、ここで俺は考える。


人間は当たり前のように人間の方が動物より上の存在で、動物より優れている存在と思ってるかも知れないが、それは本当なのか?


人間より優れてるとは知能の事じゃないよ。もっと深い何かだ。それを言葉で表すなら崇高な魂の存在だと俺は表現する。


本当に動物より人間の方が上の存在なのか?


知能レベルで言うと、鏡による実験で初めて鏡を見たほとんどの動物は鏡に写った自分を自分の姿だとは認識出来てないのが実験で分かってる。確かにこの結果だけを見ると知能が人間より低いのは分かる。だからといって、人間が動物より崇高な存在だとはならないと思う。


「崇高」とは、気高く偉大なこと。


そして、「崇高な存在」とは、精神的に非常に抜きん出てる、または気高く尊い存在、そのさまを表す。


「崇高」という価値基準で比べるなら、人間と動物では果たして人間の方が崇高な存在なのか?


俺はこの昼下がりにウトウトしながら、そこを深く考えてみる。


最近見た動画で、何年か振りに飼い主の女性に再会した犬が我を忘れるほどに尻尾フリフリで喜んでる動画を見たが、女性も犬のあまりの喜びように感動して泣いていた。この場面を飼い犬の気持ちになって想像してみるとだな……


「ジェニファー久しぶり!僕だよ!ジョンだよ!3年振りの再会だよ!よし!3年振りの尻尾フリフリだ!ジェニファーも喜んでる!喜んでる!よし!よし!でもジェニファー……僕も君をずっと探してたよ。なぜなら、君の両親は僕を飼ってすぐに離婚して、君は父親のボブと二人暮らしになって母恋しくて、いつも1人で泣いてたからね。その時の僕はまだ幼くて、君が与えてくれたシーザーのパウチタイプのご飯を食べながら、君がいつも泣いてる姿を見ることしか出来なかった。だから今の僕は君を助けたい!それは君に圧倒的な愛情を伝える事が僕の役目だと思ってる。君が母親のいない寂しさを僕で埋めようとしてたのは分かってたからね。だから、僕は君に教えたいんだ。愛は伝え続ける事だと。どんなに長い間離れてても、僕だけは君をずっと愛して、そしてこれからも、ずっと君の味方だってことをね!そ〜れ!ワン!ワン!ワン!」


などと、思ってるかも知れない。無邪気に何も深く考えず喜んでるだけのように見える犬でさえも、ジェニファーの寂しさを知って苦悩し、でも、それでもジェニファーに愛される喜びを教えようと必死に尻尾フリフリしてるのかも知れない。人間のように言葉を言えないからこそ、体全体を使って愛情を表してるのかも知れない。


この犬の心を崇高な心と言わずしてなんと言うのか?!


そしてジョンは、さらにこう吠えてジェニファーに語りかける。


「ジェニファー、今はまだ愛の本質までは分からなくてもいいよ。君が心の底から分かってくれるまで、僕は何回でも、いつまでも、君に愛を伝えるからね。愛する事は相手に伝わらなくても思い続ける事。相手を思えるだけで、そこからが愛の始まりなんだよ!そ〜れ!ワン!ワン!ワン!」


もしかしたら、動物には本当にこんな崇高な心が宿ってるかも知れないよ?じゃないと人間に対して絵に描いたような見事な体プルプルの怯え方などしないと思うんだよ。崇高で純粋な心があるからこそ、あんなに迫真の体プルプルが生まれるのだ。ヤク中が薬切れてプルプルしてるのとは理由が違うのよ。俺が中学の時に不良に脅されて「アハハ……エヘヘ……」と自己保身で愛想笑いしてるプルプル姿とは雲泥の差のプルプルなのだ。


でも、今思い出したが、そんな純粋な動物たちでも人間と同じように環境によって心が悪い方に変わってしまう実験が昔あった。


「UNIVERSE25」


という実験を知ってるかな?


これは1960年代から1970年代にかけて、動物行動学者のジョン・B・カルフーン博士(1917-1995)によって行なわれたネズミを使った実験の話だ。


とにかく、この実験はネズミが普通に生きる時に遭遇するであろう、いろいろな外敵に襲われるリスクや餌を探すリスクなどを取り除き、水と食料、そして安全に住めるスペースを与え、その結果を調べる実験だった。室内の温度も20℃に設定するという、ネズミにとっては至れり尽くせりの楽園を作った実験だ。


ネズミにとっての唯一の制限は空間の広さの制限だけだった。


果たして、この楽園をネズミに与えた結果、ネズミはどうなったのか?


まずは1968年7月9日、UNIVERSE25に持ち込まれた4組のネズミは104日目にして子供が生まれた。


そして、約55日事に人口が倍増するフェーズを迎えたが、なぜか実験開始から350日で人口の増加ペースは約55日ペースから約145日ペースに鈍化してしまったのだ。何もリスクがない環境にも関わらずだ。


この実験では3840匹までネズミが増えるのを想定して、その数を収容出来るスペースを確保していたが、結局はネズミの総個体数は2200匹に留まった。


水も食料も十分で外敵もいない状況にも関わらず、なぜかネズミの人口増加は止まってしまったのだ。


全てが満たされると人口が増えなくなるなんて、まるで今の先進国の状況のように感じないか?


この実験で315日から600日の間にネズミの正常な社会構造と社会行動が崩壊してることが判明した。その中のネズミの異常な行動として、子離れ前に子を巣から追い出したり、同性愛行動の増加、オスが縄張りの維持とメスを守る事をしなくなるなどがあった。後、メスが攻撃的になるなど現代社会に置いても、なんとなく身に覚えがあるような異常行動もあった。


そして、600日以降でもネズミの社会崩壊は継続し、個体数は減少していったのだ。もうこの時期にはメスは子育てを止め、オスはなんと引きこもり、メスへの求愛行動、メスを奪うためのオス同士の戦闘もなくなり、ただただ、餌を食べて寝るだけの生活を送るようになったのだ。


ニートネズミの誕生である。


このように何もしなくなったネズミたちをカルフーン博士はこう呼んだ。


「beautiful ones」(美しい者たち)と。


全てが満たされ、争いもなくなり、セックスもしなくなり、ただただ、食っては寝て、毎日静かに暮すネズミたち。


実験から560日後、ついにネズミの出産が停止する。最大で2200匹まで増えたネズミの数はこれから猛スピードで減少し、そしてついに920日目にして最後のオスが死んでネズミは全滅したのだ。


水も食料も豊富にあり、外敵もいない状況にも関わらず、この実験ではネズミは絶滅したのだ。まるで、この先の人類の未来を表してるようで背筋が寒くなる実験だ。


そして、このネズミの姿が今の俺に重なって見える。


今の俺は住む場所も食べる物にも困らず、もちろん命の危険がない絵に描いたようなぬるま湯の生活だ。


そして一人でも寂しささえも感じないから、人との繋がりを積極的に作ろうともしない毎日。


そしてさらに、今年に入ってロマンス詐欺に引っかかりそうになったから、昔より人を疑うようになってしまってる。


皮肉な事に過去の一番心が荒んでた時より、何も嫌な事のない今の穏やかな時の方が、過去より人を信じなくなってるのだ。


そんな俺の心だからか、プルプルと怯え震えながらも、もう一度人間を信じようとしてる子犬や子猫の動画が今の俺の胸に突き刺さる。


そして、動画の中の動物たちが俺にこう言ってるように感じる。


「いいかいジョージ。僕たちは、もう一度また人を信じる。例えまた裏切られ、心も体も傷付けられたとしてもだ。僕たちは弱い存在なんだ。僕たちだけじゃ生きていけない。だから、もう一度、人間を信じる。いつか信じられる人間に出会うまで、何度でもだ!」


その言葉を聞いて俺はこう答えるだろう。


「そんなリスクを今更俺は犯せない。もう一度人を信じて、またお金が無くなるなんて絶対に嫌だ!それに俺と違って、君たちは命まで失う可能性もある!それなのに何度も何度も人間を信じるなんてあり得ないよ!俺は君たちのように昔のバカ正直な自分には戻れない。俺はもう二度と心から人は信じない!」


動物たちは、そしてまたこう語りかけてきた。


「ジョージ、いつか命は終わるんだ。その最後の時にどんな自分の心でいたい?人を疑う心を持ったままの自分か。それとも人を何度でも信じる心を持った自分か。そしてこれは何も難しい話じゃないんだ。僕たちは最後の最後まで人間を信じる心を持って旅立ちたいんだ。単純な事さ。簡単な事。そして、ジョージが僕たちの姿を見て、もう一度、人を信じて、人と繋がる人生になればいいなとも思ってる。ジョージは僕たちの姿を見て、僕たちを救いたいと思ってくれた人だからね」


 
動物たちの崇高な心は、俺の浅はかな想像より、さらに上の崇高さだった。


そしてこれは、昼下がりの夢の中の不思議なお話。


夢から覚めた俺の目に涙が光っていた。

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