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骨を彩る。

 中学三年生の夏、親戚の葬儀があり火葬場にいた。茹だる夏の日差しと、焼き場の熱で、制服の白いブラウスが、じっとりと湿る感覚の中、人が亡くなるという場面には、悲しみだけではないものがセットになる場合がある。

 お喋りな親戚が、ため息まじりに口にする。

 「ほら、抗がん剤治療したから、骨がところどころ色に染まって、水玉模様みたいでしょ」

 視界に入った白い骨には、赤、緑、黄色……。何ともカラフルで奇妙なカラーが点在していた。

 知らないことは沢山ある。

 入院することも、闘病することも、抗がん剤を使用することも、"怖い"と思い込んでいた。どうしても、その先に"死"がチラつくから。でも骨を前にして、その色のように、長い短いでは測り切れぬ、その人のオリジナルな人生があった、言葉通りの生きた彩りがあったんだと感じた。思わず泣いた、嗚咽が止まらない。普段から、「あまり泣かない子」と思っていた親戚は「自分のお母さんのことを思い出してしまったのね……」と言っていたけれど。

 毎年、お年玉と一緒に絵本をくれる人だった。幼稚園の保育士だったせいもあったのか、外国の美しい絵柄や、当時はまだ珍しい音の鳴る絵本だったり、自然と毎年の密かな愉しみになっていて、大人になってから購入した「100万回生きた猫」も教えてくれた人。

 「ビスコちゃん、お母さんの分も強く生きてね」やっと起き上がり酸素マスクを外した苦しそうな様子で、そう言われた理由が、その時は理解出来なかった。そう簡単に言われたくない意固地な生意気さと、貴女の立場から其れを言いますかと複雑だった。病室を出る時、「はやく元気になってください」だなんて返してしまった後悔の記憶が過ぎる。それから、暫くして静かに亡くなった。残す幼い娘が成長したら、自身で読めるようにと手紙を残して……。

 寿命が近づくと、人は何だか、透明感が増すのは何故なんだろう。

 もうひとつ、打ち明けることがある。祖母や継母が病室を離れて、一瞬だけふたりになった時、「あっちに行ったら、お母さんに元気に暮らしてるって伝えてあげるからね、安心して」と、余りにサラッと言われたこと。死を覚悟して、人は変わると聞くけれど、人はそんなに変われないと思い込んでいるわたしには、何を安心すると言うのだろう、勝手に押し付けられた感情を受け止めることは出来なかった。余命宣告されていたことも、後から知った。

  彩瀬まるさんの「骨を彩る」を繰り返して読んでいる。喪失感から立ち上がるには、やはり"痛み"を知ることがベースに必要なんだろうか。そして、淡々と日常を生きるしかない。生き物として掘り下げたい。そういえば、樹木希林さんが、娘さんに火傷の危険性を教える為に、わざわざ娘の手を掴んで、熱いやかんに触れさせたってエピソードが浮かびました。也哉子さん、そりゃあ驚いただろうなあ。



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