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そういうものはそういうことだから。

 季節的にも、今頃だっただろうか?
うつらうつらとしていたら、あの日のベンチに座っていた自分を手繰り寄せていた。

 確か、杉並区の妙正寺川の近くの公園。
あの時は、精神的にズタボロだった。精神的に追い詰められて余裕がなかった。笑顔なんて嘘のように忘れて、高校時代に読んだシェイクスピアの登場人物のように、苦悩に満ちた表情をして生気を失っていた。休みだから、髪はボサボサで化粧っ気なしのすっぴんにキャップ、アディダスのジャージにサンダル履きで車を走らせてたどり着いた。

 人間は水がなくては生きては行けない。其れがどうした?だから、こんな流れを求め、こんな場所に集まるのかも知れない。それは生きようとするからなのか?唯の偶然なのか?は分からない。でもタイミングだったのだろうとは今ならば思える。心を洗う。全身に血が巡るのだって川みたいなものじゃん。滞れば終わり。死にたい。死にたくはない。

 ならば、このまま何処か遠くまで流れてしまいたい。

 木陰に並んだ水色のベンチ。
隣りのベンチにパピヨンを連れた年配の男性が、ニコニコしながら話しかけて来た。ふと見たその身形から堅実に人生を歩んで来たんだろうという片鱗を感じた。ちょこんと膝に座るパピヨンの好奇の瞳がキラキラと輝き、此方を伺っている。

「この仔、可愛いでしょう?」

「はあ…」

「耳の形が蝶々みたいでね、知ってるかな?マリー・アントワネットも可愛がってたのが、パピヨンなんだ。アレだね、犬と一緒に暮らしてみると、人間なんて所詮は犬の世話をする為にしか生きられない、実にちっぽけな存在だと分かる。犬は偉いよ。不完全な生き物に寄り添ってくれる度量があるんだから」

「……」

「はは、何言ってんだ、このおじさんって思われてるな。まだ若い貴女には、まだ見えない先があるよって事を伝えたくてね。何だか勝手に思い詰めている様子に見えたから…声を掛けずにはいられなかった。若いって事はそれだけで不完全だけど、[そういうものはそういうことだから]、しっかりと目を開いて、時々は閉じて走り抜けなさい。止まってもいいけど、ずっと立ち止まるのは避けなさい」

「………」

 わたしは泣いていた。ボロボロな姿と精神で、またボロボロなジャージの袖で頬を擦り拭い、空から差す太陽の光を熱を身体に感じて、新緑がザワザワと音のある世界へ引き戻し、全身にその熱が伝導して行く。

 何で不意に思い出したのか…?
あのおじさんと、パピヨンは今頃どうしているんだろう…
あの後、おじさんの連れてるパピヨンを触らせて貰って、耳の形を確かめてみた。柔らかい毛並みが撫でる度に、その下にある細胞と血管に流れるものの逞しさを感じさせて、こんな初対面の者にまで触れさせてくれる寛容な無垢さに、新ためて犬という生き物の素晴らしさを教えてもらった。おじさんは長くハワイに単身赴任をしていたらしい。自身の子供達は独立して、子育てに積極的に関わらなかった罪滅ぼしで、犬を飼い始めたと言っていた。

 今、縁あってチワワと暮らしている。
 ↓

19世紀末ごろに、スピッツやチワワと交配させて改良し、現在の立ち耳を持つタイプが出現したことで「パピヨン(フランス語で蝶の意)」と呼ばれるようになった。
Wikipediaより




✨パピヨン🦋翼を与える✨
 (某有名飲料水のCM風に)


 
 そんなこんなで、わたしは現在を生きている。


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