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夜光虫。〈代官山編〉

 代官山にある、ダイニングバーの名前。

 水槽の無数の泡、その限られた中で、泳ぐ熱帯魚。煌びやかに照らされる空間に所存無く、薄暗く揺れている。息苦しいのか、口をパクパクさせて宙を仰ぐ。

 まるで今の私のようだ…

 21トゥエンティワン。大人でも子供でもない、わたしは、「恋」をした。勿論「初恋」ではない。

 幾つか夜の割りの良いバイトを、掛け持ちしていた。
そんな時に、有名雑誌に掲載されている、この店を知り面接に訪れた。若さの傲慢さを持ち合わせていても、根拠のない自信だけで、勢いに身を任せてしまうなんて、バカな真似はしない。確実に狙って、求めて、本気にならなければ、欲しいものなど掴めない。自分の容姿が、優れているランクだと、卑しくも、気付いた小学生の頃から、あの時から、女と言う生き物の悲しい宿命を、無意識に抱えて来たのかも知れない。
「私だから」という特別待遇が欲しかったし、それを矛盾だと、分かった上で求め、孤独感を癒すのだ。

 
 そんな時に、オーナーとして、遅れてやって来て、席に着いたのが"彼"だった。スマートに入室して、静かに座り、手元にある書類を一瞥してから、じっくりと、此方を見つめる。

 瞳の奥が輝くように、鼓動が高まる。



「まだ…20前くらい?…」まるで、高校生に話しかけてるように、続けて、「ウチの店、深夜まで営業するし、当然、アルコールを提供するBarだから、未成年者はお断りしてるんだ」と、素っ気ない真顔で言う。履き慣れたジーンズにストライプのボタンダウンのシャツの袖を捲った、焼けた腕から見えるステンレスの時計が光る。たぶん、ローファーはJMウエストン。飴色ブラウン。良く手入れして、大切にしていることが、ひと目で分かる。今の彼氏が愛用していたからだ。思わず足元に見惚れて、返事を忘れてしまう。「ね?聞こえてる…?」と言われて意識が戻る。強気に、落ち着いて、
「先週、21歳になりました。だから、未成年じゃないです」と答える途中で、"彼"が笑いを堪えている。長めのサイドの髪をかき上げながら、ボストンタイプで、ショコラカラーの眼鏡のフレームを軽く押さえて、「冗談だよ、履歴書ちゃんと確認してるから!」と自分と書類を交互に指差して、悪戯な笑みを浮かべる。大人の男の余裕って、こういう感じなんだ…小娘の扱い方なんて、きっと目を閉じていても熟せるんだろう。
優しい口調で、それから…優しそうな唇…

 自分から、意識してしまうなんて…。恋愛は、相手から狩りに来させるのが、通常なのに。

 いとも簡単に落ちた。

 その夜、すぐに仕事はスタートした。制服は、黒服スタイルに膝上のタイトスカート。白いブラウス、ベスト、蝶タイ、7㎝パンプス。更衣室の場所の確認の為、ふたり狭い部屋で、ギリギリにすれ違った瞬間、息遣いを意識して、大人の男の香りに、内心、ドキドキしていた。話し声も耳に心地よく、いつまでも聞いていたくなる。このまま抱きつきたい妄想に堕ちる。

 仕事は一週間ほどで、すぐに覚えた。熱を醒ます為に。ラウンジでの接客も刺激になり、楽しかった。その日は遅くなり、深夜2時過ぎ、終電は既に無い。他の社員やバイト仲間が、近くまで乗せてくれると言うのを断って、山手通り沿いならば安心、ゆっくり真っ直ぐに歩いて帰ろうと思って、歩き出したら、"彼"が、「中目黒なら、通り道だから送るよ」と、フォルクスワーゲンの助手席のドアを開けて、手招きする。いつもならば断わるが、(何が起こってもいい)と本気で思い、勇気を振り絞る。いつもの眼鏡に、ネイビーのジャケットを羽織り、窓を開けて煙草を吸う。ボードに置かれたのは、赤いマルボロ。黙って見ていた。


 

 オーナー(彼)は、当然、既婚者だ。

 代官山の古着屋の路地を抜けて、山手通りに出る。直線にすれば、10分くらい。でも、その日は渋滞していた。その分、長く一緒にいられる。運転する相手の横顔、ハンドルを握る手を眺めるのが好きだ。一方的に密かに想う背徳感。
 
 ラジオからJ-waveのパーソナリティが、饒舌に盛り上げて、リクエスト曲でジョン・レノンの「Julia」が流れ始めた。
反対車線のヘッドライトだけがスムーズに行き交う。


Half of what I say is meaningless
But I say it just to reach you, Julia
Julia, Julia
Ocean child calls me
So I sing the song of love, Julia
Julia, seashell eyes
Windy smile calls me
So I sing the song of love, Julia

 

 曲のサビの部分で、突然、キスをされた。
マルボロの苦味と匂い、熱い体温と、優しく髪を撫でられ、強めに首を押さえられる快感に、このまま時が止まるんじゃないかと思った。

 
 今、付き合っている彼とは、全然違う。

 眼鏡も違う。


 

 そして、それ以上は、進展することなく、目的地に着いて、お礼を伝えて降りる。

 そんな日々を、どのくらい過ごしたのか?

 あんなに情熱的で強引なキスをしておいて、涼しい顔を残して、振り返りもせず去って行く。おかげでリアルの彼氏とは、上手く進行した。一糸纏わぬ姿で、抱き締められて、山手通りの静かな喧騒に、暗がりに身を任せて、瞳をそっと閉じる。カーテンを閉め忘れた窓の夜空を感じながら、夢から醒めないように、オーナーを想う。焦がれる男を胸の奥の個室から引き出す。目の前の男に気付かれないように…気付かれても構わないと、グチャグチャに感情と、汗とを重ねると、さらに跳ね返り、
快感と共に果てる。

 
 狂わせたのは、オーナー(彼)だ。

 
 大人の玩具を与えておきながら、いつも最期は取り上げられる子供のように。

 
 抗えない。



 罪悪感なんて、そんな感情ごと、とうに捨てたのだから。

 海の中で、ユラユラと揺らめき浮いてる"夜光虫"

 死ぬ間際まで、発光しているはずだ。

 若気の至りくらい、無意味なのに。


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