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急がば回れよ。

 息子のゲーム問題……。
これが頭が痛かった。この状況下、オンラインで遊ぶことが楽しいのは分かる。友達の過半数が"ひとり一台は所有"の時代だしね。子供の世界の付き合いも大変。少数派は遠慮なく弾かれるから。そんなことは親として充分に理解していたつもり、つもりだった。
「勉強したならいいよ」とか、
「部屋を片付け終わったらいいよ」とか、「お手伝いしてくれたならいいよ」では済まなくなって来た。楽しいものには引き込まれてしまう魅力がある。それが毒だと知らなくても。

 昨日は帰宅後、しばらく話し合いからの言い合いに発展した。(わたしも疲れていた)小学校高学年。なかなか悪知恵も巧みになって来たなあ…なんて感想を浮かべながら…

プチっと頭の中で柔軟性を失い、なにかが折れた音がした。

 クローゼットに隠して保管していたゲーム機を一式手に掴み、息子がふて腐れ顔で座っているリビングに早足で向かい渡した。「分かった。もういい。無駄だよね、制限もしないから好きなだけゲームすれば」と台詞のように流暢に一気に吐いた。
 息子は、一瞬、驚いて固まって無言だったけど、そんな様子すら気にせず、早足で振り返らずにベッドに思い切り飛び乗り倒れた。
ぼんやりと天井を眺めながら、頭をクールダウンしていた。こんなことで腹を立てても仕方ないんだからと。

 夫にもメールをした。どんな時でも子供の教育については連携していないとね。感情的になるのが大嫌いなので淡々とおおまかな流れとその後の選択を報告。それを踏まえた上で、夫がどうするのか?はまた別の話しで。父親と母親は役割りが微妙に違う。

 昨日は朝から忙しかったのもあり心に余裕がなかった。夕方にも要件があった。そんな中でも昼間に夕食の支度をして、息子が好物の肉じゃがを作った。副菜と味噌汁までを、温めてすぐ食事出来るようにと。好きなメニューだとテンションも上がる。苦手な食材も工夫をしてね。そんな準備も自分の勝手に過ぎない。世の中主婦は皆そうで、日々の食事の用意も当たり前だから。基本、他人に期待をしないで生きている。それは諦めに見えて確実さを求めた結果であり、その先に有る解放を感じる為。「これは自分のテリトリーだから」と覚悟していれば何ら苦にも感じない。
ああ…でも…この虚しさみたいな感覚って…初めてかも…と。

 子育ては一筋縄ではいかない。そう思った。でも、こっちだって元子供で、それなりに経験値だってある。
負けないわよ。親としての立場や責任もあるだろう。世の中のルールだってある。でも、その前に家族のルールというものを教える義務は確実にある。
 人は子供の頃に理不尽な経験をした方が良いと思っている。いずれ長い人生には困窮する場面も必ず訪れて、その時になって弱気になるより強気に進んで欲しい。工夫をして生きて欲しい。ならば、"苦労は買ってでもしろ!"は必要。(個人的な意見です)

 自分ひとりで大きくなったつもりでいるかも知れないけれど、そんな態度も見てる上で、貴方を背後から、そして先回りして見つからないように、ドラマの世界の探偵役みたいに行く末を見守っているのは、あくまでも親です。

なめんなよ。

(念願のゲーム解放となった息子の今後は、つづく。さあ、どうなることやら)

 今朝は清々しい表情で起きて来たのが、少し驚きと不思議。

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