思うだけでできること。それが私の新しい道「WAN_Heart活動」
2020年3月。
我が家に仔犬を迎えた。
幼い頃から無類の犬好きだったが、家庭を持ってからは15歳から引きずっていた深刻なペットロス、転勤族という生活環境、住宅事情などなど、犬を飼えない理由がいくつもあったため、犬とは無縁の生活をしていた。
それなのに突然犬を飼うことにしたのは、コロナによって世の中が一変したことにある。新しい生活様式に適応するためには多くの常識を捨てる必要があった。その変化と勢いにのり、私は仕事も辞め、一念発起して犬を飼うことにした。
なぜ犬なのか。
がむしゃらに走り抜けた子育て期間を終え、忍び寄る子離れを前に、子どもたちとの最後の家族の思い出作りと、犬とののんびり暮らす隠居生活の準備をもくろんでいた。先の見えない未来に求めたのは静かで心穏やかな暮らし。きっと犬がそれを手助けしてくれると思ったのだ。
思い切って一歩踏み出した先は、静かな隠居生活への入り口ではなく、保護犬活動支援という、全く予想していなかった新たな人生のスタートラインとなった。
ここに私が始めた活動の内容とその経緯、思いを書き留めておきたいと思う。
幸せなのに幸せじゃない
予想外の展開に導いたいちばんの要因は、犬を迎え、私の心穏やかに過ごす余生の相棒となった犬と過ごす時間が、想像以上に幸せすぎて、苦しくなったことだ。幸せなのに幸せじゃない。それはまさかの異常事態だった。
相棒を愛しく思えば思うほど、子どもの頃に飼っていた犬にしてやれなかったことを思い出して悔やみ、相棒との時間が幸せであればあるほど、捨てられ処分される犬たちの存在に胸が引き裂かれそうになった。
相棒との生活に幸せを感じることに罪悪感が付きまとう。過去の記憶が蘇っては、子どもの私には知る由もなかった数々の残酷な事実に気づかされて、嗚咽するほど泣いた。
犬を飼うという突然の決断は、私が第2の人生を歩むために用意されていた伏線を過去の記憶から回収させるための手段だったのかもしれない、そう思えるような濃い2年間を過ごした私は、この予想外の道を恐れることなく突き進むことにした。
「思うだけでできる」を実現させる
2022年2月22日。
スーパー猫の日。SNSが猫の写真で埋め尽くされていた日、私は、インスタグラムで保護犬活動支援を始めた。保護犬活動をしている人や団体の支援と日本の動物福祉の向上を目的としている。
なんて偉そうなことを言っているが、大したことはしていない。できるとも思っていない。なぜなら私は知名度も財力もないどこにでもいる普通の主婦だから。一歩踏み出す前の私と違うのは相棒の柴犬を手に入れたことだけだ。この相棒はビビリでツンデレ、普通の女の子を大変身させる『ひみつのアッコちゃん』の魔法のコンパクトのようなはたらきは一切しない。
世の中の犬の幸せのためにタッグを組んだ頼りない相棒は、ただ「そう思ってくれているだけでいいんだ」というようにキラキラした目で私に愛を注いでくれる。
思うだけではだめだ。
思うだけでは何も変わらない。
これまでの人生の中で幾度この言葉を口にし、自分に発破をかけてきただろう。どれだけの人が思うだけから実行に移すことができず後悔をしているだろう。私のように「不幸な犬を助けたい」と思っても何もできないでいる人も多くいるに違いない。
そう思って気づいた。
思っていてもできない人はたくさんいる。
思ったことを実行している人と想いは同じなのに。
なんともったいない「想い」だろうか。
そう、それで私はこの思い、想い、つまりハートを集めることにした。それが私の始めた保護犬活動支援WAN_Heartだ。「想い」を支援に繋げるお手伝い。「思うだけでもできる」を実現させるのだ。
保護犬活動支援WAN_Heartとは
実際にどんな活動をしているかというと、犬好きさんと繋がって、毎日まいにち「保護犬」や「保護活動」関連の情報提供をする。犬関連のハンドメイド雑貨の販売や愛犬の似顔絵を描いて提供する。
こんな感じに。
私はイラストレーターでもなければハンドメイド雑貨クリエイターでもないので、どうしても私の作品がほしいというフォロワーさんなんていない(胸を張って言うことではないけれど)。訪れてくれる人はみな、私のように、「思うだけで何もできない」ストレスを抱えている。だからその想いをカタチに変える場を提供している。もちろん、すごいクリエイターさんが協力してくれたらとんでもなくありがたいのだけど。
寄付額固定の理由
一つの想いを333円という固定にしたのは、思う気持ちは財力と比例しないという意味付けから。お金持ちの人はいつだってドーンと寄付できる。私だってできるならそうしたい。できないけれど、でも「想い」は同じなのだ。何度か保護団体が行っているクラウドファンディングも参加したが、自分で額を決めるというのも悩ましかったりする。「想い」に財力が伴わず、せっかくの「想い」も萎えてしまいそうになる。私にとってクラウドファンディングがちょっと重たいのはそんな理由もあるのかもしれない。
なぜ333円?
333という数字は、なにやら「社会貢献」という意味があるらしいことから。ちょっとお茶するくらいの金額だから、負担なく、気持ちよく、気軽に「想い」を預けてくれるかな、と思ったり。
購入額は全額寄付
購入額は全て保護犬団体に寄付。私はみんなのハートの運び屋に徹する。100ハート(33300円)ごとに実際に関りを持った団体に寄付することにしている。そのために、勉強がてら譲渡会や保護犬カフェの勉強会に参加したりもしている。
現状
活動を始めて半年。フォロワー数は100人程度。先日ついに最初の目標の100ハートに辿り着き、初めての寄付を行おうとしているところ。なんとも規模の小さい活動で、そんな少額の寄付が何の役に立つのだろうと思われるかもしれないが、私はこの目には見えない「想い」こそが大切なもので、必ず世の中を変える力になると信じている。
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変らない世の中なんてない。世の中は確実に変わるのだ。
殺処分ゼロの動きが強まったり、保護犬という言葉が広まったりしたのは最近のことではない。もう随分前からたくさんの人たちが不幸な犬をなくすために活動をしてきてくれている。坂上忍さんや杉本彩さんといった著名人もメディアを利用しながら積極的に活動されているし、大きな額の寄付をされている実業家の方たちもたくさんいる。
それでもなお殺処分はゼロにはならないし、未だ保護される犬もいる。たくさんいる。その数は減ったと言っても、問題は解決に至っていない。どんなに有名な人であっても、どんなに金持ちであっても、世の中を変えることってできないのだ。
それでも。それでもだ。
変わらない世の中なんてない。諸行無常。時の流れとともに世の中は確実に変化を遂げていく。絶対に変わるものだから、諦めてはいけない。世の中を変えるのは、人々の、私たち一人ひとりの意識なのだから、ひたすら意識にはたらきかける。私も犬を飼うまでは保護活動に関心を持っていなかったが、犬を飼ったことがきっかけで、どこかの誰かにはたらきかけられたのだ。いつだったか、どこの誰かだかなんて覚えていないが、確実に意識を変えられた。それによって私の行動が変わった。
人の意識が人の意識を変えていく。こうやって世の中は変わっていくのだ。
ブルマから見える世の中を変える仕組み
たとえば、私が小学生の頃。私の地元(あるいは小学校)は、裸教育が子どもの健康にいいとされていて、体育の時間、夏場は基本上半身裸&裸足。当時の女子たちは黒いパンツみたいなブルマ。昔は現代の子よりも発育が遅いので、先生に体操服を着ることを促される女子は高学年のほんの一部で、ぽっちゃり体形の子に至っては大人の女性の体とはみなされず、みんなと同様「裸」だったとことを覚えている。
4年生か5年生の時の運動会。
親戚一同が学校の廊下でお弁当を食べていると(昔は家族と一緒にお弁当を食べた。田舎だからか親戚で集まって折箱をつつく家も多かった)、母が、肌がむき出しになった私の背中に何気にタオルをかけたときに、その行動の意図することがわからず「?」と思ったことを覚えている。どちらかと言えば発育の早い方だった私は少し胸に膨らみもあったのかもしれない。当時の小学生はそんなこと誰も気にしていなかったし、当の本人の私も裸教育に何の違和感も疑問も持っていなかった。
今となれば恐ろしい。
現代はどこの学校でも男女ともにショートパンツを履かせている。ブルマなんてとんでもないと思うかもしれないが、上半身裸で普通に授業をしていたくらいなので、ブルマを恥ずかしいとは思ったことはなかった。ブルマは誰もが認める健全な体操着で、世の中の常識だったのだ。私のブルマライフは何の疑問もなく高校卒業までしっかりと続いた。
意識とは恐ろしいものだ。
意識が世の中を変える
ローマが一日では成らなかったように、世の中の常識だったブルマが一日にして恥ずかしいものへと転落したわけではない。そこには疑問を唱え廃止を要請した人たちの熱心な働きかけと、その考えに共鳴した人たちが一人、また一人と意識を変えていくムーブメントがあったのだろう。多くの意識が変われば、世の中も自ずとそちらに傾く。「絶対ブルマがいい!」と言った人もいたであろう、たぶん。でも、多くの人がいいなと思うことに、世の中は流れていくものなのだ。
昔と今で変わった事柄を一つひとつ思い起こしていくと、常識が変わっていることに気づく。戦争が悪いことも、女性が社会進出することも、部活中に水を飲むことも、今では当然のこと。否定する理由を想像する方が難しいくらいだ。
世の中を変えるのはお金ではない。世の中を変える「意識」にはたらきかける許可や資格なども不要。ならば、普通の主婦の私にだって世の中を変えることはできる、かもしれないということである。
いつだってムツゴロウさんみたいな人ががんばってくれている
昔と今の「犬の飼い方」の大きな相違点は、犬の生活の場所が変わったことだ。昔の犬はみんなスヌーピーみたいに庭に小さな家を作ってもらっていた。スヌーピーと違うのは鎖に繋がれていたことだ。
ふかふかの専用ベッドで寝ている相棒を外に出し、鎖につなぐなんて、そんなひどいことは絶対にできない!と思うのだが、子どもの頃に飼っていた犬はまさにそうだった。それに疑問を感じたことは一度もなかったし、ちゃんと犬を愛していた。犬との暮らしは楽しかったという思い出も作って大人になった。
犬の室内飼いが主流になった背景には様々な理由があるのだろうが、ムツゴロウさんの著書で、ムツゴロウさんも積極的にはたらきかけていたことを知った。ペットブームの到来とともに始まった『ムツゴロウとゆかいな仲間たち』という番組の中で、ムツゴロウさんは、日本人が暮らしの中でもっと犬との関りをもつように西洋で主流だった室内飼いを意識づけさせる要素を取り込んだという。当時、幅広い年齢層で絶大な人気を誇っていたムツゴロウさんの番組。人々の意識の変化に多大な影響を与えたことは間違いない。
人の意識は放っておいても何かをきっかけに変わるだろうし、それが波紋のように広がって世の中を変えることもあるだろう。誰かが積極的に人々の意識に働きかけることで、世の中が変わるまでの時間を短縮することができる。
世の中の変化の裏には、いつだってムツゴロウさんみたいな人たちがいる。私はムツゴロウさんのように多くの人たちの意識に働きかけ、大きな波を起こすことはできないけれど、世の中にいつ大きな波がやってきてもすぐに変化に対応できるよう人々の意識に小さな波をたて続けることはできる。
だから小規模な活動であってもやる価値はあり、続けることが大事だと思っている。
不動なのは実は意外な人たちだったりする
人々の意識を変え世の中を変えることは簡単なことではない。ローマ帝国は700年もの年月を要したそうだが、さすがに殺処分をゼロにし、世の中から保護犬の存在がなくなるまでに700年もかからないだろう。すでに全国で多くの人たちが動物福祉の向上に奮闘している。未来から見れば、今はもうひと頑張りのところまで来ているのかもしれない。それでも身近で失う命を見ている人たちには1年でも1月でも待てない思いでいる。
今年のゴールデンウィークに、都内のある保護犬カフェでスタッフの方のお話を伺った。仕事に誇りとやりがいを感じつつも、救っても救ってもなくならない保護犬の存在に疲弊されていた。
「こんな活動をしていて、こんなことを言うのもなんですが、
殺処分が悪いとは、言えないんですよね…」
当然、殺処分はゼロにしたい。だけどマンパワーと時間に限界があり、このままだとどこの保護団体もダメになってしまう。やっとの思いで保健所から引き出し保護をしているのに、充分な世話をしてあげる時間もない。次の命が待っている。キリがない。本当にこれでいいのだろうかと思うと、殺処分ゼロに囚われ過ぎているのではないかと思うことがある。
そんな胸のうちを聞かせてもらった。
聞いていて私も苦しくなった。どんなにがんばって波を起こしても、大海原全体を揺らがすことはそう簡単にはできない。今はあちこちで波を起こしている人がいても、その周辺の大部分が不動なのかもしれない。もっと時間を要すればいずれ全体に大きな波が起こることになるであろう。ただ、波を起こす人たちの体力がもう限界に達している。それが現状だそうだ。
波を作ろうとしている人の周りには同じような考えの人が集まるものだ。全体に波を行き渡らせるためには、同じ考えではない、まだ知らない人たちを動かさなければならない。
未だ不動の人たち。それは誰か。
犬とは縁を持っていない人たち。そして保護犬とは縁がないと思いこんでいる人たち。意外にも、犬が好きで犬と幸せに暮らしていている人たちだったりもする。
毎日のように保護団体に引取り依頼の連絡があるという。
実はそれらのほとんどが、突然の病気や怪我、離婚などの生活の変化で仕方なく犬を手放してしまう人たちなのだそうだ。彼らは犬を捨てる悪い人なんかではない。みんな犬が大好きで、犬を大切にしていた。それが想定外の出来事に、犬を手放すことになり心を傷めているのだという。
本来は想定外であってはならないのだ。犬を飼うということは最後までその命を預かるということ。長い間犬がモノとして扱われていたせいか、この終生飼養について、多くの人が認識していない。保護団体が必死に発信している情報に耳を傾けてこなかったのである。
私にできること
私にできることは、毎日まいにち、コツコツ地道に人々の意識にはたらきかけをすること。それは犬との生活においての新しい知識や常識だったり、犬ともっと仲良くなれる情報だったり。
保護犬という言葉が世の中からなくなり、愛犬との幸せな時間を誰にも遠慮することなく噛みしめることができるような時がくるまで、犬と一緒にいると幸せだな~と思う気持ちをサポートすること。
思う気持ちは無力ではないことを証明すること。日常に溢れる犬を想うハートを一つひとつ集めて見えるカタチにして支援に変える。
こんな小さなことだけど、この地道な作業が必ず世の中を変える力になると信じること。
そして、このnoteの街でも犬を想うハートを育てていくこと。Note街で育ったハートをカタチに変えて、note街で保護犬活動をしている人を支援していきたたいな、と思っている。
だから多くの人にこの記事を読んでもらいたい。犬を飼っていても飼っていなくても、ここに書き出したことをちょっと意識するようになってもらいたい。私の一歩踏み出した先の世界でばったり会えたりしたら、とっても嬉しいな。
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