動物愛護と動物福祉は似て非なるもの。日本中に「動物福祉」を浸透させたい
今、日本では、非常に多くの人が不幸な境遇の動物を救う活動を行っています。私も小さな活動ではありますが、そのうちの一人です。動物愛護の考え自体は随分前から存在していますし、近年その動きが活発化していることは一目瞭然ですが、それでもなお、未だに人間の都合で命を奪われていく動物たちがいます。なぜこんなに時間がかかるのか、私はずっと腑に落ちないでいました。
ところが先日、「動物愛護と動物福祉の違い」を知った時、私はその原因はきっと"これだ"と思ったのです。
「動物愛護」と「動物福祉」の違いを言える日本人はどれくらいいるでしょうか?
動物愛護とは、動物に対して人間がどう思うか。 動物福祉は、動物にとって何が良いのか。動物愛護は人間の感情が主体で、動物福祉は動物が主体なのです。
日本は他国と比べても動物福祉は遅れています。ですが、思いやりのある国民性からか動物愛護の考えは広く浸透しているように思えます。でも、「かわいそう」という気持ちだけでは動物の命を助けることはできません。感情だけで動いてしまうと、のちに行き詰ったり、犬を助けたつもりが気づかないうちに悪徳商法に加担してしまっていたなど、思わぬ落とし穴もあるようです。(かくいう私もどちらかといえば感情で保護活動支援を始めました。落とし穴に落ちる前に気づくことができてよかったです。)
動物をかわいがり守りたいと思う気持ちは大切です。でも、すべての動物には生きる上で最低限必要な5つの自由(①飢え・渇きからの自由、②不快からの自由、③痛み・負傷・病気からの自由、④本来の行動がとれる自由、⑤恐怖・抑圧からの自由)が与えられなければならないことを理解していなくてはなりません。その上で自分の行動に責任がもてるかどうかの判断が必要となるのです。
これが「動物福祉」であって、この考えがすべての人の「意識」の中に浸透しない限り、この先もずっと今のような状況が続くのではないかと私は思うのです。
かつて私は、まるで人間の言葉を理解しているかのようなイルカたちの華麗なショーを見るのが好きでした。でも「動物福祉」について知った瞬間、もう同じようには思えなくなりました。次々に発表される水族館のイルカショー廃止の報告にもホッとしています。「意識」が変れば見え方が変わります。それも”あっという間”に。
私は1日も早く、この「動物福祉」をすべての日本人の意識に浸透させたいのです。そして”あっという間“に不幸な境遇にいる動物たちをみんな幸せにしてあげたいのです。それで、SNS上で私にできることを始めました。以下、私が行っていることを紹介させていただきます。
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■私について
2022年2月22日、保護犬活動をしている人や団体の支援と日本の動物福祉の向上を目的とする「WAN_Heart」という活動を始めました。主な活動内容は、インスタグラム上で
① 犬のイラストや犬関連のハンドメイドグッズを販売し、その売上金を保護団体に寄付
② 動物福祉関連の記事や保護団体、里親さんのインタビュー記事、その他有益な情報のシェア
を行っています。
活動の軸になっている考えが、活動名でもあるワンハート、一つの小さな想いをカタチにすることです。一人の想いではなく、一つの想い。一人の中にもたくさん沸き上がるこの想いが、日常化し常識となるまで、今日も明日も明後日も、一人ひとりの想う心を絶やさせないようにする。また一瞬の想いであったとしてもそれを可視化させ、人々の胸に刻ませることで確実に浸透させていきたい、そう思っています。
※始めた当初は動物福祉を理解しているつもりになっていましたが、今思えばかなりあいまいな解釈で動物愛護と同じように考えていたと思います。
詳しくは過去の記事をご覧ください。
■なぜ”犬”にフォーカスした活動をしているのか?
動物福祉の向上を願うなら、犬に限らずすべての伴侶動物(私は野生動物も該当するものと考えます)を対象とすべきでしょう。私が「犬」にフォーカスしているのは、過去の過ちを償いたいからです。
昨年、”実は昔、母が家で飼っていた犬を保健所に連れていっていた“という衝撃の事実を知りました。私が2~3歳の頃のことです。犬好きな私に親戚のおばさんが犬をプレゼントしたけれど、数か月後、母が「誰も世話をしない」「バカ犬だ」と保健所に連れて行った、らしいのです。
当時は今のように保護団体もなかったことでしょう。家庭から保健所に持ち込まれた犬は即殺処分となります。そういえば、子どもの頃のアルバムに、離れの庭で鎖に繋がれた犬と私が一緒に写っている写真が1枚ありました。どこのワンちゃんだろう?くらいにしか思ったことはなかったのですが、それがうちの子だったというわけです。両親は名前も覚えていません。この不幸な犬の存在を知ったことを機に、私は犬を助けたい、助けなければいけない、と強く思うようになったのです。
■WAN_Heart活動を通して力を入れていること
それは人の意識を変えること。日本中に動物福祉の考えを浸透させることです。「まさかの我が家の保健所事件」から、私は、人の「意識」の恐ろしさを知りました。不幸な境遇の犬を生んでいる根元は人の意識であり、だからこそ救うことができるのも人の意識なのです。
母は決して極悪な人間ではありません。花を愛し、手芸を楽しみ、物を粗末にすることなく慎ましく暮らす田舎の主婦です。それでも、犬を保健所へ連れて行きました。まるで粗大ごみでも出すかのごとく。良心の呵責もなく。引き換えに500円をもらった、とも。
なぜこんなことが起きたのか。それは世の中の常識、人々の意識や風潮。犬はモノであり、サプライズプレゼントにもなるし、不要になれば捨てる。それが世間一般の普通、当たり前だったのです。
今では、ちょんまげや結い髪姿の人を見ることはありません。着物、下駄や草履は特別な日の装いになりました。体育の授業からブルマーも消えました。スラックスを履く女子学生にもう誰も驚きません。当たり前と思っていたことが当たり前でなくなるのは、人間が日々学習し、よりよい暮らしや生き方を求めることで意識が変化していくからです。
その意識を変えるためには、いつだって誰かが風を起こしています。いつの時代においても努力して拡散してくださる人たちがいます。私はそういう人たちに、またはそういう人たちの力になりたいのです。
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