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里帰り出産を後悔した話。

初めての出産を里帰りで挑むことにした数年前の冬のこと。必要なもの全てをもってぷち引っ越しをした。出産へのドキドキは、十数年ぶりの実家くらしのソワソワと相まってどこかくすぐったいような変な感じだった。

里帰り出産にあたり、母からいくつか条件を出された。雪解けの頃の出産になるので、産後しばらくは体を冷やさないようにすること。家事はおろかシャワーも無理だと思いなさい。目を使ってはいけないからスマホは禁止。とにかく赤ちゃん第一でいなさい。こんな具合で産後の生活がまったく想像つかない新米妊婦は、母の条件くらい大丈夫と軽く考えていた。

いざ出産。大量出血で輸血を受けズタボロな体でいきなりのスパルタ母乳指導。帝王切開の傷の痛みと闘いながら母子同室へ。シャワーの許可をいただき、束の間の癒しを味わい部屋に戻ると見舞いに来た母の姿が。目つきは冷たく、怒ったような態度で待っていた。よくわからずいるとどうやら私がシャワーを浴びたことに怒っていたのだ。『呆れた。何してるの。』そんなふうに言われてすごくショックを受けた。産後のシャワーがどんなに体に響くか、あなたを思って助言したのにとチクチク言われ放題。医師も看護師も、母子のふれあいには清潔さが不可欠だし、シャワーを浴びただけで体に支障が出ることはないとキッパリ言ってくれた。お母さんが言ってるのは昔の迷信だともハッキリ言ったくれたのに。ズタボロな体とズタボロな神経にいきなり母からムチを打たれたようで涙が止まらず、自分にもわからない感情が押し寄せた。その日、シャワーセット一式を取り上げられ退院までシャワーを浴びられずだった。

退院後も母子のシャワー攻防は続いた。何度も懇願し産後1ヶ月を迎えるまでに数回はシャワーを浴びられた。赤ちゃんを見に、来客がある日は絶対に浴びさせてもらった。シャワー後に部屋に戻るとツンッとした母がいるのが毎回傷つくのだが、心身ともにズタボロだったものが少し修復されるようなほんの束の間の1人時間だった。いま思い返すとアホみたいな毎日だった。赤ちゃんとの生活に必死だったのに、母の顔色もしょっちゅう伺っていらぬところで神経すり減らしていた。母のささいな一言で涙が止まらないことが増えていった。

初めての育児、新生児、とにかく謎だらけでわからないことは看護師に聞いた。それなのに、母は30年前の化石のような知識を押し付け自分のやり残した子育て論を提示してきた。疲れたりイライラしたり、そんな感情や言葉の吐き出しも許してくれない。ポロッと口に出したらすかさず横から止められる。それは我が子が2歳になったいまでも、わたしの子育てに要らぬことをしてくる。

ときどき居場所がないように思う。どこにいても母の目があって、わたしにはプライバシーがないと感じる。何でも話せる仲でいようとよく言われるのだが、母の小言が多いことをたまに言うとそれはあなたのためだと言い返される。疲れてしまった。

最近わたしは離婚をした。里帰りを終えて自宅に戻ったものの夫の暴力で即別居。しばらくの別居を経て無事に離婚に至った。母子2人生活は無理なので、実家に引っ越した。子育てと両親との生活はかなり面倒くさい。

子育ては自分が親にしてほしかったという気持ちへのセラピーでもあるらしい。スピリチュアルの本で読んだことがある。母の言動は母自身が親にしてほしかった何かを表しているのかもしれない。だけど、わたしが目を向けるのは大事な我が子とわたしの今とこれからだ。母子のシャワー攻防のように日々こなしていくしかないのかもしれない。

何か突拍子もないことが起きて、またこどもを授かることがあったら絶対にもう里帰りはしないと決めている。

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