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音楽の映画、映画の音楽。

読書、音楽鑑賞、映画鑑賞の3つを趣味として嗜んでいる。これらの趣味のよいところは、あまりお金がかからないことだ。基本的にインドア派なので、音楽鑑賞に関していえばライブに出かけることはないし、映画鑑賞のためにシアターに出かけることもない。

もちろん生演奏や劇場で観る映画に魅力を感じる。振り返ると、仕事が終わってから足しげくライブハウスに通った時期があった。いそいそと出かけてシネマコンプレックスで観る大迫力の映像は楽しかった。しかし、いろいろ面倒になって現在に至る。年を取っちゃったかなと思う。

おそらく読書、音楽、映画は長く楽しめる趣味といえるだろう。しかし、老人になれば目はかすみ、耳も遠くなる。そうならないうちに、できる限り美しい音楽や映画にふれておきたい。

この3つの趣味の面白いところは、それぞれがリンクしていることだ。小説を原作として映画化されることがあり、映画の中では挿入歌やエンディングに音楽が欠かせない。作家やミュージシャンを主人公にした映画もある。場合によっては、本×音楽×映画のみつどもえで堪能できる。

漠然と語っていても埒が明かないので、自分のアタマの中を整理することも含めて、音楽との関係を中心に好きな映画を挙げてみよう。

まず、ジョン・カーニー監督の作品が好きだ。『ONCE ダブリンの街角で』に深く静かな感銘を受けた。この監督のヒット作品には『はじまりのうた』がある。

『はじまりのうた』では、おちぶれたプロデューサーのダン(マーク・ラファロ)がライブハウスで女性シンガーソングライターのグレタ(キーラ・ナイトレイ)が弾き語りをする姿に出会う場面が素晴らしい。ニューヨークの地下鉄や路上でレコーディングするシーンもよかった。マルーン5のアダム・レヴィーンが出演しているが、彼女と別れて落ち込んで、ひげもじゃになってしまった顔に笑った。

この監督はバンドごころ(?)を理解している。バンド結成、メンバー探し、宅録でデモ音源を作る『シング・ストリート 未来へのうた』にも、ああこれは分かるよ!という描写が多かった。

映画監督の音楽に対するこだわりを感じたのは、父親の死とともに思い出の場所をドライブしながらCDを聴くというストーリーで、ロードムービー的な『エリザベスタウン』だ。キャメロン・クロウ監督の音楽好きがうかがえる。この映画の中で使われている「Passing By」の入ったウルリッヒ・シュナウスのアルバムは、何度も聴いた。無機質のエレクトロニカでありながら、どこか優しい。

いち推し監督は、ジュゼッペ・トルナトーレ監督。名画として名高い『ニュー・シネマ・パラダイス』は、冒頭の海のシーンから滝のように涙が流れて止まらない映画だった。大人になったトトが映画館で過去のフィルムを観る場面、エンニオ・モリコーネの有名な楽曲が美しすぎる。また『海の上のピアニスト』では、観客の印象から即興で演奏するシーン、恋をした女性の面影を音楽にするシーンが切ない。

観ているだけでキリキリ胃が痛みそうなパワハラおやじの『セッション』、耳の聴こえない家族たちの中で歌うことを選択する『Codaコーダ あいのうた』も、記憶に刻み込まれた作品である。事実をベースにした映画では、ジョイ・ディビジョンのヴォーカリスト、イアン・カーティスを描いた『コントロール』がかっこいい。写真家のアントン・コービンが初監督の作品で全編モノクロ。静かな狂気を感じた。

邦画では、小説が先だったか映画が先だったか忘れてしまったが、宮下奈都さんの原作によるピアノの調律師を描いた『羊と鋼の森』、恩田陸さんの原作による『蜜蜂と遠雷』は、原作の小説と映画ともに楽しめた。小説の世界の再現とともに、映像美に癒された印象が残っている。いま原作をドラマ化したときの改変が問題になっているけれど、小説も映画も独立して楽しめる仕上がりになっていた。

最近見逃してしまった作品には、アニメの『BLUE GIANT』、岩井俊二監督の『キリエのうた』がある。劇場で観たかった。この映画たちに関しては、自分のフットワークの鈍さを悔やんでいる。とても残念。

語りたいことは、まだまだある。リュック・ベッソン監督の『レオン』に流れるスティングの『Shape of My Heart』などなど。言い足りないのだけれどきりがないので「to be continued」 ということにしておく。

2024.02.04 BW



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