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リセット考、新しい日々の始め方。

人間はリセットできない。当たり前のことだが、機械ではないからだ。

リセットを辞書で引くと、機械などを「初期状態に戻すこと」とある。再起動が電源を投入し直すことに対して、リセットはこれまでの設定をすべて白紙に戻す意味になる。もちろん「やり直し」の意味でも使われる。しかし人間に関していえば、過去にあったことを消去して初期状態には戻せないし、きれいさっぱり忘れて再スタートを切るのは難しい。

時間の本質は「いまここしかないこと」と考えているが、だからといって、過去にあったことはなかったことにできない。

過去だけではなく未来についても同じである。これからありそうなことを想像したり予測したりすると、案外なかったことにできないものだ。想像した時点で、それは現実の一部になる。そうやって私たちは、過去の後悔や至福に縛られ、未来の不安や期待に縛られる。

ほんとうに人間をリセットするのであれば、いったん命を絶ってしまうしかないのだが、人生をやり直せるとは限らないだろう。

死というものを経験したわけではないから分からないが、辛くて苦しくて現世の人生を清算しようとしても、神様はそうはさせてくれない場合だってある。もしかすると、来世に生まれ変わっても、前世の苦汁をなめる人生を繰り返すだけかもしれない。永劫回帰的に同じ苦しみを永遠に経験し続けるわけだ。無間地獄ともいえる。だから早まってはいけない。

私たちは過去を引き受けて、あるいは未来を引き受けて生きている。若いときには、これからあるかもしれない未来、年を取ったなら、もう戻れない過去を受容しながら生きていく。

過去も未来も物理的には存在しない。重荷に感じるとすれば精神的な重さであって、そのことにさえ気づけば後悔や不安を軽くすることができる。

といっても「時間つまり過去も未来も存在しないから大丈夫」などと簡単に割り切ることができないから、悩んだり塞いだりする。精神の状態は心身に影響を及ぼして、何か重いものを背負っているような気怠さがまとわりつく。こころの重さのために身体が動き出せなくなる。

このリセットの難しさについて、もう少し具体的に書いてみよう。

日々の生活には節目がある。一年間でいえば大晦日から元旦は大きな節目であり、4月1日も新たなスタートを切るためのよい区切りだ。朝は目覚めとともに気分を刷新するのによい時間であって、ランチを食べた後は午後を仕切り直すきっかけになる。

ところが、そうはいかないのが人間である。よしっ、ご飯を食べて気分が改まりましたよ、頑張るぞ!と新たな一歩を踏み出してみても、しばらくすると、あれれれれ?いつの間にか意気消沈、となる。変わったと思ったのは束の間に過ぎず、スペシャルな進行は終了、ここから先はこれまで通り。自分っていつもそうだよな、と変われない自分に苦笑する。なかなか新しさを始められない。始めたかと思うと、終わっている。

過去のせいなのか、性格なのか、あるいは習慣の蓄積なのか分からないが、「これまで通り」の呪縛は結構しんどい。逃れられない。

しかし「これまで通り」はいけないのだろうか?

そもそも、これまで通りにやろうとしても、そうはいかないのが人生だ。過去のやり方を踏襲しても柳の下にどじょうはいないし、見上げた空の雲は毎日変わる。通勤電車にはいつも見かけるあのひとの姿があるかもしれないけれど、昨日のデジタルデータをコピー&ペーストしたモブで今日の満員の人混みが構成されているわけではない。それがリアル、現実世界だ。

であれば、堂々と同じ日々を繰り返すことにも意義があるのでは。

今日と同じ一日はない。同じ一日を送ろうとしても偶然が邪魔をする。新しさを追いかけなくても日々は変わる。変わらないままでいたいのに、どんどん変わっていく。終わりのない変奏曲のように。

人間はリセットできないのだから、大きく変えようと思わなくていい。人生を初めからやり直すことはできないし、いまさら別人になることもできない。それにも関わらず、すべては変わっていく。失敗を繰り返しているうちに成功に転じることがあるかもしれない。時間の流れを長いスパンでみれば、変わらないものは何もない。

21世紀ではあるけれど、不老不死の実現は遠い未来になりそうだ。だから人間を含めた生物全般が老いる。老いとは、変化の連続である。

若さを保つ秘訣があるとすれば、老いの否定ではないだろう。失われようとする若さにしがみつき、その維持を頑なに守ろうとするのではなく、老いという変化を認める柔軟な思考のなかに、若さがあると考える。

好奇心を持つことが若さの秘訣ともいわれる。好奇心を維持しようと思うのであれば、老化していく思考のなかで、好奇心という細胞自体の新陳代謝が大切ではないだろうか。過去の好奇心にしがみついたままだったとすれば、きっと老いてしまう。

古い好奇心を捨て、新たな好奇心を取り入れること。その循環が好奇心の維持であり、維持は動的な活動によって生まれる。維持は保守的なものではなく、プログレッシブ(進歩的)なものとしてとらえている。過去に培ってきた好奇心をアップデートし続ける姿勢に意義がある。たとえば読書や映画や音楽なら、新しい作品に触れること。未知の作品に対しても好奇心が開かれていること。

何もしなかったとしても人間は年を取る。しかしリアルを生きる人間の存在は、過去の突端あるいは未来の突端として、新しさの最前線にある。

過去から未来への時間軸を逆さに眺めると、いまの自分の存在は、これから生きる未来のあらゆる自分よりいちばん若い。今日の自分は明日の自分より一日若く、明日の自分はあさっての自分より一日若い。

新しい一日が今日から始まる。いまこのときは常に新しい。

2024.04.26 BW


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