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マニュアル考、あるいはワインの蓋の開け方と魚の釣り方について。

スーパーのレジでおばちゃんが騒いでいて、エプロンをかけた初老ともいえる男性店員さんがあたふたしていた。後ろに並びながら耳をそばだてていると「このワイン、いつも蓋が開かないのよ!開けてもらえる?」とおばちゃんは訴えていた。なるほど、分かる。
 
分かるのだが、それはスーパーのサービスの範疇を超えているのではないか。そう思っていると、店長さんらしいひとが登場して何も言わずに、くるっと蓋を開けてあげた。優しい。このお店を常時利用している選択は間違っていなかった。そう確信してこころのなかのお腹でぐーを握って、ぱちぱちと拍手をした。
 
おばちゃんが購入したのは、アサヒビール株式会社が輸入しているサンタ・ヘレナ社のアルパカというワインだ。500円ほどの安価で買える。美味しいとは言い難いけれど、そこそこ飲めるため、買い出しに出かけたときは2リットルのミネラルウォーター2本とともに1本買って帰る。
 
自分の身体は、ワインとパンでできている。したがって、身体を保つためにワインの補充は欠かせない。といっても、ワインセラーを自宅に構えるような裕福な暮らしをしていない下層階級の庶民だから、水のように飲める安価なワインで我慢している。ほんとうに水のように飲んでしまい、1日でボトルを空けて後悔することも多い。
 
このアルパカを購入した当初、おばちゃんと同じように困った。んーっと真っ赤になりながらアルミの蓋の部分をひねっても、まったく開かないのである。思わず叩き割ろうかと思ったが、ラベルをよく読むと「開栓方法」がしっかり記載されていた。しかも図解付きである。
 
その図を見て腹落ちしたのは、ワインの蓋の方を捻るのではなく、瓶の下をしっかりグリップして、そちらを捻るのだ。要するにテコの原理である。小さい口の方を捻るのではなく、大きいビンの下側を捻る。そうすれば、あらら、と思うほど簡単に開けられる。
 
ところで、学生時代の就職において、社会人としての第一歩はテクニカルライターだった。テクニカルライターとは何かといえば、パソコンや機器などのマニュアルを執筆する制作の仕事である。
 
最初は出版社や広告代理店をめざしていた。編集者やライターになりたかった。すぐに編集者は無理っぽいなと分かり、ライターに選択肢を変えた。ライターのなかでもコピーライターは大人気の職種だ。これも無理だろうと諦め、テクニカルライターに進路を決めた。

その当時、コピーライターは感性のライター、テクニカルライターは論理や理性のライターと言われていた気がする。といっても、コピーライターになれない自分を納得させる理屈に過ぎなかった。
 
というわけでテクニカルライター経験者の自分には、マニュアルについては、いろいろ言いたいことがある。
 
アルパカの開栓マニュアルは、天地15ミリ×左右40ミリのちいさなスペースにも関わらず、図解付きで解説されている。素晴らしい。こういう説明は文章で書いてはダメだ。視覚的にみせる必要がある。
 
素晴らしいのだけれど「ボトルを回して開栓します」が左にあり、その右に「一方の手でこの部分をしっかり握る」があるのは、説明の順序としていかがなものだろうか。
 
一般的に横書き表現では、左から右に読む。したがって操作説明の順序としては時系列にしたがって、左が「握り方」そして右に「開栓の仕方」にすべきだろう。
 
推敲して書き直すならば「①まず、片方の手でアルミの栓の部分をしっかり握ります」「②次に、ビンの下の部分を左に回して開栓します」がベストだ。子どもたちに文章を教えるときに強調するのが、つなぎの言葉である。「まず」「次に」「その後で」などなど。このように順序を論理的に示した後で、ほーら開きましたよね、よかったですね!となる。
 
といってもアルパカのラベルについていえば、イラストの大きさとスペースを考えると、このような理想的な記述はしにくいだろう。アルパカのラベル制作を担当された方は苦労されたのではないか。心境お察しいたします。
 
厳しいことを述べると、書いてあったとしても読まれなければマニュアルは無意味だ。「ほら、ここに書いてあったんです」というのはクレームを回避する言い訳としては有効かもしれない。だが、顧客満足度を下げる可能性がある。

というのは、ほとんどのユーザーは、マニュアルを読まないからだ。蓋が開かないワインのラベルを読むひとも少ないだろう。読ませるためには工夫が必要だ。たとえば蓋の開け方はラベルに書かないでタグにして、ネックレスのようにビンに被せてあげるとか。
 
究極のことを言ってしまおう。マニュアルを作っていたときに痛感したのは、製品やサービスのデザイン自体を利用者にやさしくすることが最重要であり、マニュアル不要の製品やサービスこそが理想形、ということだ。
 
そんなことを提言すると、マニュアルを作って生計を立てているテクニカルライターの仕事はなくなってしまう。しかし、自分の仕事にこだわって社会の不便をそのままにするのは倫理的にいかがなものだろう。社会全体の利便性を追求したほうがよい。
 
アルパカのワインに関していえば、アルミの蓋には剥がすために手をひっかける部分を作っておくだけでいい。といってもチリ名門のサンタ・ヘレナ社にとっては「そんなもん要らなくね?」という経営判断なのかもしれない。安いワインだからコストをかけられなかったのかもしれないし、その部分を作ることによって衛生上や品質上に問題が生じるのかも。
 
SaaSのようなクラウド上で展開するソフトウェアでは、ユーザビリティ(usability)が重視される。さらにUX(User eXperience)と呼ばれるユーザーの体験を重視する。つまり、利用者が面倒くさくてイライラしたら、その製品やサービスはデザイン自体の何かが間違っているのだ。ユーザーに対する配慮が足りない。開発者目線だけで作られた設計に問題があるのかもしれない。
 
おばちゃんにワインを開けてあげた店員さんの話に戻るのだけれど、もしサービスを改善するのであれば「ほら、ここに書いてあるように、下の方を捻ると簡単に開くんですよ」と説明してあげたら、顧客対応としては100点満点だったのに、と感じた。
 
教育にもいえるのだが「釣った魚をあげるのではなく、魚の釣り方を教えてあげること」が大切だ。そうすれば次に教える必要がなくなる。

自分でやってしまったら、やり方が分からない。おそらく今後買い物をしたときにも、おばちゃんは店員さんにワインの蓋を開けてもらうように要求するだろう。もし断ったら「どうして?以前はやってもらったのに!不親切ね」と逆に怒りだしそうな気がする。
 
魚を与えることが優しさではない。優しさに依存して、魚を釣らなくなってしまったなら、相手のためにもならない。
 
現代の教育を含めてサービス全般に必要なことは、知識や正解を提示することではないと考えている。自分なりの答えに到達する思考のプロセス、あるいはフレームワークのような型を学ばせることではないか。
 
ワインの蓋が開かない。そんなちいさなできごとにも、世界をよりよくするためのヒントが潜んでいる。だから日常は面白い。

2024.02.11 BW


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